陽気で孤独な流浪の民。
そのことに私が気づいたのは、恥ずかしくもあの日からずいぶん時が経ってからだった。
アルビノ
イノセンス適合の候補者として教団に連れてこられたとき、私はまだ10にもなっていなかった。
家は貧しすぎて、この上なく貧しすぎて、それでも子供を捨てる決心をつけられない臆病者の両親だった。
朧気な記憶をたどると、確かあの時にはすでに、一番上の姉はどこかに嫁いでいた気がする。
……そしてそれから、ただの1度も便りがなかった気がする。
もちろんそれは私たちが文字を知らなかったということもあるだろうし、姉もまたそうだったということもあるだろう。
それでも、泣きながら嫁いでいった姉の表情を思い出せば、理由はその他にももっと何かがあったのだと、今なら思える。
そして、その理由が今なら多分わかる。
「……多分、どっかの金持ちの年寄りの後妻にでもなったんだろうね。美人だった気がするし」
「うーわー、エロ爺の後妻かー。姉ちゃんもそりゃ泣くさー」
「でしょ?その後一時的に暮らしが楽になった気がするしさ、多分間違いないよ」
うげー、と舌を出したラビに苦笑して、私は煙草を取り出した。
「、身体に悪いさ」
「わかってるよ。でも、これ吸ってると落ち着くんだもん」
ラビは心配性。
いつも私の健康に口を出して、まるで小姑みたい。
ライターで火をつけると、慣れた苦みが口に広がった。
「……まあ、その爺さんが人間だったって保証もないんだけど」
「……人間だろ、多分」
「だといいんだけどね……」
すぱあ、と煙を吐き出す。
あ、綺麗なドーナッツ成功。
「で?それからどうしたよ」
「えーっと……」
私が教団に見出された頃、私の家は餓死する寸前だった。
食べられる物は何でも食べた。
草の根、木の根、木の皮まで。
すぐ上の兄は、運悪く毒草に当たって死んでしまった。
それでも、食べなければ生きてはいけなかったのだ。
「だから、私の教団入りは喜ばしいことだったんだよ」
「……金か」
「ご名答」
教団が私を引き取るに当たって示した金額は、おそらくは10年は家族全員が食べていけるほどのものだったのだろう。
当時の私は何も知らなかったけれど、今となってはそんなことぐらいは簡単に想像できる。
「言葉も何も知らない異国での生活は、正直しんどかったよ」
相手が何を言っているのかもわからない。自分が何を言いたいのかも伝わらない。
祖国とはあまりにもかけ離れた生活習慣。
「ここだけの話、実は始めの頃、どうやって服を着ればいいのかわからなかったんだ」
苦笑した私につられるように、ラビも小さく声を上げて笑った。
「あの頃の、着方がどっかおかしかったもんな」
「忘れておくれよ、お願いだから」
そう、ラビと出会ったのはそんな頃だった。
故郷では考えられない、深紅の髪。
それは白い肌によく似合ってはいたけれど、当時の私にしては鬼のような色彩にしか思えなかった。
『誰……?』
泣きながら問いただした私は、逆行だった彼の色彩が露わになった瞬間にひきつった声を出したはずだ。
それでも気にせずに、ラビはちょこんと小首を傾げた。
「チャイニーズか?コリアンか?ジャパニーズ?」
『……あたしを殺しにきたんでしょ。どうせあたしは、できそこないなんだから』
毎日繰り返される意味不明な実験。
その度に大人たちが浮かべる表情で、私が望まれた存在でないことは、言葉がわからずともたやすく知れた。
『あんた、日本人、だな?』
もうどうでもいいと思っていたから、つたなくも確かに聞こえた懐かしい響きに、がばりと顔を上げる。
それは確かに、目の前の鬼から発せられたもので。
「……だれ?」
今度はもう1度、こちらの言葉で訊いてみた。
それが正しくその単語であったかも定かではないし、万一合っていたとしても発音はめちゃくちゃだっただろう。
それでもラビは正しく意味を理解して、にいと笑ってくれた。
『お、少し、話せるだな?おれ、ラビ。エクソシスト、なる。お前は?』
ラビの日本語もめちゃくちゃだった。
それでも、行ったこともない国の言葉を話せるだけで充分すごい。
『…………日本語、話せるの?』
『ちょっと』
なるほど、確かに「ちょっと」だ。
それでも、少しでも言葉が通じる相手に初めて出会った安心感から、とめどなく涙が溢れた。
「あの頃はまだ、神田がいるなんて夢にも思わなかったしねえ」
「神田もお前のこと知らなかったしな」
「てか、知ってても無視しそう」
「ははっ、言えてるさ」
寂しい、帰りたいと何度も訴えた。
ラビに言ってもどうしようもないとか、そんなこと考えもしなかった。
ただ、誰かに聞いてほしくて。
『もうやだよ、おうちに帰りたいよ!』
『ここがおれらの家
だろ』
『違うよ、こんなとこおうちじゃないもん!』
『それでも、ここにかえらなきゃ』
『私はラビとは違うもん!ひとりぽっちだもん……!』
言葉も通じない、見知った人もいない。
大人たちは、私が適合者ではないという可能性が高まるにつれて、冷たい目しか向けてくれなくなった。
ラビは違う、言葉も通じるし知り合いもいっぱいいるし、何よりも親に捨てられたわけではない!
大声で泣いていた私は、その時初めて彼の冷たい声を聞いたのだ。
『自分をかわいそがるの、誰だってできるだろ。もどれないなら、先に進むこと、かんがえろよ』
『 え』
「俺、もう日本語しゃべんねえからな。いつまでも言葉がわからないからって泣いてるなよ」
ほれ、と手を差し伸べてくれたラビはいつも通りだったけど、それっきり本当に日本語を話してくれることはなくなった。
その代わりに英語を教えてくれ、やがて私は完全に適合候補者から外された。
エクソシストを生み出す実験材料にされずに探索部隊になれたのは、本当に幸運だったとしか言いようがない。
「あれ、ラビが言っといたんでしょ。私が咎落ちにならないようにって」
「あ、ばれた?」
にししと笑ったラビは、不意に真剣な目になって私を見た。
「なあ、。日本に行きたいか?」
家族に会いたいかと、暗に含まれたその問いに、私は緩くかぶりを振る。
「必要ないよ。多分もう、みんな生きちゃいないだろうし」
あの国であの家族がそう生きながらえられるとは思えない。
「わかんねえじゃん、行ってみれば 」
「私も自分の命が惜しいよ。それに悪いけど、もうそんなに家族に恋しさは感じないんだ」
一生懸命言ってくれるのはありがたい。
ありがとう、ラビ。
でもね。
「使い古されてしかもクサい言い方だから、はっきり言って不快なんだけど……今はもう、ここが家みたいなものだしね」
言葉もわかる。知り合いもできた。帰りを待ってくれている仲間もいる。
「だからラビも、ちゃんと帰ってきなよ。私が待っててあげるから」
「……んなこと言われたら死ねないさ」
「阿呆。誰が死ねと言った」
苦笑したラビの額にでこピンをくらわせて(バンダナのせいで効果は半減した)(こんちくしょう)煙草を地面に押しつける。
「帰ってくればいいのさ。大体あんた、ブックマンになるんだから絶対に死ねないだろ」
ブックマンになるということがどういう意味を持っているのか、私は知っている。
彼がけして全面的に味方になることはないと、知っている。
それでもラビはエクソシストで、私は探索部隊だ。
「あんたたちは私たちを利用していいんだよ。サポートするためにいるんだからさ」
白い団服についた灰を払い落として、よっこらしょと立ち上がる。
「休憩終わり。隊長に呼ばれてるんだ」
「あ、俺もコムイに呼ばれてたさ」
連れだって歩くその姿が、遠い昔に重なった。
あの日ラビに出会えていなければ、きっと今、私はこうしてここに立ってはいなかっただろう。
孤独なエクソシストに、あらんかぎりの感謝と友愛をこめて 。
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