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そっと指をあてて初めて奏でる、特別な高音。 ハーモニクス 「あ、バイオリン。誰の?」 部室に置いておいたバイオリンケースを見つけて、さんが目を輝かせた。 「俺のです」 俺がそう言うと、目の輝きがいっそう増す。 「ちょた君の!?開けてみていい!?」 「はい、どうぞ」 子供のようなその様子が可愛らしくて、思わず笑みがこぼれた。 俺の返事を聞くやいなや、さんはうきうきとした様子で手早くケースを開ける。 開け方に戸惑う人も時々いるけれど、そんな心配はいらなかったみたいだ。 カバーの布を取った瞬間、うわあと歓声があがる。 「チョコレート色だ!いいなあ!」 触りたいな、触りたいな、触ってもいいかな。 そんなオーラを振りまきながらじいっとバイオリンを見ているさんに苦笑して、うながすために口を開く。 「よかったら、ちょっと弾いてみませんか?」 「え?いいの?」 多分自分では気づいていなかったんだろう、本当に驚いた顔で振り向くさんにうなずいた。 肩当てを取り出してバイオリンにつけながら、横でうきうきと弓を張って松ヤニを探しているさんに、お目当てのものを取り出して手渡す。 「それにしても、よくこれがバイオリンだってわかりましたね」 俺の、角ケースなのに。 「え、普通、見た瞬間わからない?」 きょとんと返しながら、さんは手早く弓を動かして松ヤニを塗りつけた。 1回、2回。 「……さん、バイオリンやったことあるんですか?」 妙に慣れた手つきだ。 この動きはすぐにはできないと思うんだけど……。 「うーん、わかんない。酷い音出しても知らないよー」 のんきに首を傾げて、さんは俺の手からそっとバイオリンを取った。 そのまま構えて、G線に弓を置く。 「……やったこと、あるみたいですね」 「……うん。でも、ちょっと小さくて弾きにくいや」 綺麗な音でゆっくりと音階を弾きながら(でも運弓はちょっとおかしい)、さんが小さく首を傾げた。 「じゃあ、ビオラかもしれませんね。あれは微妙に指の間隔が違いますから」 「かもね」 うなずいたさんの音がいきなり耳障りになった。 妙にかすれて、キイキイと嫌な音がする。 「ど……どうしたんですか?」 いくら何でもおかしいと思って手元を見たら、懸命に指先をごく軽く弦につけて、弓を上下させていた。 「あれえ?」 首をひねりつつそれを続けていたさんの手元から。やがて限りなく高い澄んだ音が響く。 そうして初めて、俺はさんが何をしようとしていたのかに気づいた。 「 ハーモニクス。 弦のポイントに指をごくごく軽くあてることによって生まれる、高く澄んだ倍音。 慣れていないと、音を出すことさえ難しい。 「うん。やっぱり、出すの難しいや」 照れたように笑うと、さんはバイオリンを肩から外して俺に差し出した。 「ちょた君は、ハーモニクスできるよね?」 「はい」 俺があっさりと色々なハーモニクスをやってみせると、さんは目を輝かせて俺を見つめる。 ……照れるんスけど……。 「すごいねえ、ちょた君。テニスやめても充分食べてけるよ、きっと」 「そんなことないですよ」 「あるよぉ。すごいすごい」 無邪気に笑っていたさんが、何かを思いついたようにねえ、と首を傾げた。 「ドッペル、弾いて?」 「は?」 ドッペルですか? 思わず確認すると、こくりとうなずかれる。 「いいですけど……」 どうしてドッペルなんだろう。 何の脈絡もないし、何より。 あれは『2つのバイオリンのための協奏曲』ですよ? 1人じゃ弾けませんって。 ドッペルっていう通称を知っているくらいなんだから、そのことを知らないわけがない。 けれど、さんは構わずににこにこと笑っているから、ため息をついてバイオリンを構える。 「それじゃあ、いきますよ」 「うん!」 どうするつもり 思いがけない事態に、思わず目をむいてさんを見る。 そんな俺に、さんは悪戯っぽくウィンクをした。 「すごい……」 さんこそ、歌で充分食べていけそうだ。 ソロの大きく音が飛ぶところも、笑顔で軽々と歌いこなしている。 「……ははっ」 何だか楽しくなって、結局第1楽章の最後まで弾ききってしまった。 「すごいですね、さん」 「ここではまだ歌ったことなかったんだっけ?私、歌うの大好きなの。気がつくと無意識に歌っちゃってるんだよね」 満足そうに笑ったさんは、ぴっと指をたてる。 「じゃ、次は『中央アジアの高原にて』!」 「それは交響曲ですよ!!しかも高原じゃなくて草原です!」 |