似ているけれど、似ていない。
必死に手を伸ばしても、その差は変えがたく歴然としていて。
その度に自分を思い知らされる、という。






睡蓮






「あれ?薫君?」


いつものメニューをこなしていると、不思議そうな声がかかった。
女で俺を「薫」と呼ぶのはあの人ぐらいしかいねえから、確信を持って振り向く。


「やっほー」
「……っス」


傘をさして首を傾げた先輩が、俺の方に歩いてくる。


「雨の日までロードワーク?頑張るねえ」


すぐ近くまで来た先輩は、苦笑して俺に傘を差しかけた。


「ずぶ濡れ。風邪ひいちゃうよ」


そのおかげで肌に感じる雨は消えたが……そのかわり、差しかけた本人が、今度は雨に濡れている。
それじゃあ意味がねえだろうがよ。


「先輩が濡れてるっスよ」


傘の柄をぐいと押し戻してため息をつくと、先輩は何故か苦笑した。


「だから、私は薫君の先輩じゃないってば。名前で呼んでいいんだよ?」
「はあ……」


以前から何度かそう言われているが、「先輩」以外にどう呼んだらいいのか、俺にはどうにもわからない。
名前で呼ぶなんて、そんな気恥ずかしいことできるはずねえじゃねえか……!


「それに、私なら平気だよ。これからまっすぐ帰るもん」


ガッツポーズで笑う先輩の家(つまり越前の家)までは、ここからずいぶんとあった気がする。


……全然平気じゃねえ……。


この人の事だから、帰っても絶対そのままに違いない。
越前に怒られてものらりくらりとかわして、風呂には入らないに決まってる。

……となると、明日は風邪決定。


「俺は平気っスから、早く帰って風呂入ってください」


俺の精神安定のためにも。


「えー、めんどい」


……やっぱりな。


「めんどい、じゃないじゃないっスか。風邪を引くのは先輩なんスから」


一応そう言ってみても、先輩はいまだに嫌そうな顔をしている。
挙句の果てに、俺の顔をじっと見て、不満そうに口をとがらせた。


「それは薫君も一緒じゃない」
「俺は慣れてますから」


鍛えてある俺と先輩じゃ、話が違うってんだよ。



「んー……じゃあ、一緒に帰ろ?送ってくから」


   先輩がいなくなってから、もう一度出かければいいか。
そう思って、とりあえずは先輩を返すことが先だとうなずいた。


「はい」


先輩の傘に2人で入る。

女物の傘は小さくて、2人とも濡れないようにしようと思ったら、どうしてもぴったりとくっつかなければならなかった。
少し下を見るとすぐそこに先輩の顔があって、それが気恥ずかしくて少し離れる。


離れたら、ぐいと引っ張られた。


「濡れるでしょ。もっとこっち寄って」


だから、あんたは何も思わねえのか!?


「顔、赤いよ?」


あんたのせいだ。


風邪引いたんじゃないの、と心配する先輩にかぶりを振って、また歩き出す。
そのまま公園を出られるかと思ったら、池のところで先輩の足がぴたりと止まった。


「どうしたんスか?」
「ん、睡蓮だなあって思って」


先輩が指差した方には、水面に浮かぶ赤い花。


「蓮……じゃ、ないんですか?」


俺にはどうにも区別がつかなかったからそう訊くと、先輩は笑ってかぶりを振る。


「ううん、あれは睡蓮。似てるように見えるけど、花びらのつき方が違うんだよ」


そう言って軽く息を吐いた先輩の笑顔が、不意に悲しそうなものになった。


な、何だ?どうしたんだ?
俺、何かしたか!?




   睡蓮は、さ」




妙に焦る俺の横で、先輩は睡蓮を見たままぽつりと呟いた。


「私に似てるんだよね」
「先輩に……?」

どういうことかわからずにオウム返しをすると、先輩が小さくうなずく。


「仏の台座となる蓮に憧れて、近づきたくって、必死に頑張って。区別がつきにくいくらいに姿を似せることはできたけど、根本的なところは全然違う」


目を伏せて息を吐いた先輩の横顔は、俺と1つしか違わないとは思えないほどの憂いに満ちていた。


「理想の自分になりたくて、あがいてもがいて取り繕って、必死に手を伸ばしても届かないくらい、現実の差は歴然としてて。そんな現実にぶち当たる度に、自分のちっぽけさを思い知らされるよ。   だからね」


そういう、ある意味とってもみじめなところが、似てるの。


小さな声でそう言って、先輩はそれまでが嘘のように満面の笑顔を浮かべる。


「帰ろ!風邪引いちゃうね」


帰ったらカルピンと遊ぼうやら何やら呟いて楽しそうに笑うその姿は、まるっきり年相応だ。


   傘、持ちます」
「あ、そうだね。ごめんごめん」


先輩が傘を持つと、俺の身長に少し足りない。
俺が受け取って持ち上げると、先輩は驚いたように傘を見上げた。


「高ーい」


当然だろうが。
低くなったら、それこそ困る。


「ていっ!」


   おい!どうしてひっつく!?


「濡れちゃう濡れちゃう。薫君、筋肉しっかりしてるね。さすがー!」


腕をつかむな!俺の気も知ってくれ!!












やけに楽しそうな先輩を振りほどくわけにもいかず、結局そのまま俺の家まで行った。


「じゃあね、身体に気をつけて」
「先輩こそ」
「先輩じゃないよ、


笑って帰って行った先輩は、ここに着くまでに4回くしゃみをしていた。
ありゃあ、家に戻ったら、越前の雷が落ちるな。


小さくもらした笑いは、静かに雨に消えた。