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エリュシオンにも夜はくるのかと、驚いた初日が懐かしい。 星こそ見えないものの、どういうわけか外を出歩くのに困らない程度には、ほんのりと明るいのが不思議だ。 ベッドの上に座り込んで、窓辺にもたれかかりながら、小さくため息をついた。 聖域で黄金の皆さんとおもしろおかしく騒いでいても、ここで皆さんに大切にしてもらっていても。 不意に、何かの拍子に、とてつもない不安に襲われる。 「 駄目。駄目。駄目。 抑えろ。抑えろ。抑えろ。 うずくまって声を抑えて、必死に外にもれないようにする。 聞こえてしまったらきっと、あの優しい人達はとても心配するから。 どれくらい、そうしていただろう。 扉が開く小さな小さな音がして、反射的にさらに身を縮めてしまった。 隠れるところなどありもしないのに、タオルケットを握りしめる。 「 密やかに響いた声に反応すると、静かな足音が近づいてきた。 顔を、上げられない。 「」 耳によくなじむ低い声が、穏やかに私の名前を呼んだ。 「何を、泣く」 「泣いてなんか がばりと顔を上げて反論すると、深い瞳と視線がぶつかる。 その目を見てしまったら、もう何も言えなくなってしまった。 「……お前の悲鳴が、痛いほど耳に響く」 抑揚のないその声は、けれど労りに満ちている。 声に出していないはずのこの気持ちに、どうしてこの人は気づいたのだろう。 無言で優しく頬をなでる手を、無意識につかんだ。 すがるように、しっかりと。 「 地上を恋しがって。 母神を恋しがって。 それを聞いたらもう、止められなかった。 「ハーデス様……」 かみさま。 「…………帰りたい」 帰りたい。帰りたい。帰りたい。 私がいた場所へ。 家族のいる場所へ。 私の記憶の全てがある場所へ。 全ての思いをこめた言葉と同時に、涙が転がり落ちた。 泣いてもいいのだと、そう言ってくれた手が、この上なく嬉しかった。 「帰りたいです 「……そうだな」 一度壊れた涙腺は、ちっとも止まってくれない。 私に止める気がなかったのかもしれないけれど。 わんわんと声をあげてうるさく泣く私を、お父様は黙って抱きしめてくれた。 黒い服が、さらに濃い色になっていく。 「お母さんに、会いたい!」 「……」 「お母さんの料理、食べたい!」 「……」 「大学の勉強だって、もう全部忘れちゃった!」 「……」 「お母さぁん……!!」 お父さん。お兄ちゃん。お姉ちゃん。 会いたいよ。寂しいよ。 まだ、私のこと、覚えてる? 「。泣きたい時には、泣けばいい」 誰をお前を責めないからと、お父様は私の背中をとんとんと叩いてくれる。 ここを否定しているも同然なのに、お父様はけしてそれを責めなかった。 その優しさが、かえって苦しい。 「……怒らないんですか?」 「……何故だ?」 本当に不思議そうに首を傾げるその姿が、ああ お母様が泣くからと、冬以外の時間を手放したお父様。 自分も共にいたいのに、それを押さえこんだお父様。 本当は優しいのに、誤解を解こうとしないお父様。 世界には嫌われ役も必要だと、甘んじてそれを受けているお父様。 そんなこの人が、私は。 「だいすきです、お父様」 だから、大好きなのだ。 「今日は一緒に寝てくれませんか?」 散々泣き散らして、熱を持っている目で笑う。 お父様はそれにちらと眉を寄せると、どこからともなく氷を包んだタオルを取り出した。 そっと瞼に押し当てられて、気持ちのいい冷たさに目を閉じる。 受け取って大人しく目に当てていると、するりと衣ずれの音がした。 膝をすくわれて、背中に柔らかいスプリングがあたる。 「 とっさに手さぐりで袖(らしきもの)をつかむと、なだめるように髪をなでられた。 全身を包み込むように感じた温かさに、一緒にいてくれるのだと安堵する。 「おやすみなさい、お父様」 「……おやすみ、」 ためらうような間の後に挨拶を返してくれたぬくもりを、寝返りをうって抱きしめた。 全身全霊をこめて。 私はいつか帰るけれど、けれどそれまでは。 「 大好き。 「 もうすでに、帰る術を持たないのだから、哀れな子。 お父様の優しい声を聞きながら、すうと意識が眠りに沈んでいった。 (やっぱり、帰りたいんです。いつになく饒舌なハーデス様に(私が)びっくりしました) |