さん、ちょっと海界にお出かけしてみませんか?」
「……はい?」


にっこにこと笑った沙織さんが、突然とんでもないことを言い出した。


海界って、あれですよね。
ポセイドンがいるところですよね。
竜宮城みたいなところですよね。


「……たどり着く前に、溺れ死ぬと思います」


いや、それよりも、水圧で圧死するのが先だろうか。
どちらにしろ、デッドエンドは間違いなしだ。


思ったことを正直に言うと、アイオロス様が笑いをこらえるような表情で大丈夫だよ、と答えた。


「小宇宙でガードされているから、死ぬようなことはない」
「でも私、小宇宙なんて持ってないんですけど」
「大丈夫!気合いだ!!」
「死にますってば!!」


駄目だ、アイオロス様無茶苦茶だ……!!
どこをどうしたら、こんなボケができるんだ……!


まっとうな答えを教えてくれとサガさんを見つめると、頭痛をこらえるような表情で代わりに答えてくれた。


「カノンがサポートをする。心配するな」
「え?またカノンさんですか?」
「俺じゃ不満かお前」


思わずもらしたら、自分こそ不満そうなカノンさんに即行言い返される。
慌ててかぶりを振りながら、駆け寄って必死に誤解を解こうと見上げた。


「そうじゃなくて!カノンさんだって忙しいのに、申し訳ないというかありがたいというか……」


私のために時間を割いてくれていると考えただけで、へにょりと眉が下がってしまう。
そんな私に、沙織さんがころころと笑いながらとんでもないことを言い出した。


「あら、さんは私の大事な従姉妹ですもの。当然のことでしょう?」
「……だとよ」


ちょ、ちょちょ、沙織さん!!
いくら義理の従姉妹だったとしても、カノンさんは貴女を守る大事な一人でしょうが!
気前よく貸しすぎですってば!!


諦めたようにため息をついたカノンさんにぽむと頭を叩かれながら、私もがくりとうなだれた。












およそに行くには、お持たせは必須。
というわけで、慎重に焼いたアップルパイをしっかりと抱きしめ、忘れ物はないかと訊くアフロディーテさんにうなずいた。


「1泊だけで帰って来るとはいえ……あちらにはテティスがいるから、何か入り用になったら頼むんだよ」
「はい」


気をつけて、と頭をなでられたのを最後に、沙織さんが開いてくれた門をくぐる。


……いや、だって、海にざぷざぷ入って行くのって、やっぱり怖いじゃないですか。
いくら大丈夫だって言われても、やっぱり泣きたくなるじゃないですか。


「カノン、さんを頼みましたよ」
「承知」
に何かあったら……わかってるな?カノン」
「わかったからデモンローズをしまえ、アフロディーテ!」


そんなこんなで大騒ぎをしながら門をくぐった途端、今までとは景色が一変した。

青い碧い空間に、白い柱がよく映える。
水面が見えないほど深いところにあるはずなのに、何故か明るいそこは、とても綺麗だ。


「すごい……」
「聖域とも冥界とも違うだろ?」
「はい」


カノンさんに誘導されながらあちこちを見回していたら、不意に斜め後ろから声がした。


「シードラゴン、待ってたぞ」
「シードラゴン……?」


変わった名前の人もいるものだと思いながらそちらを見ると、同い年くらいの男の人が立っていた。
その視線はこちらにまっすぐ向いていて、つまり今のは私達に呼びかけたということだ。
どうやら、誰かと間違えているらしい。


「あの、どなたかと間違えてらっしゃいませ」
「いい、俺のことだ」


その人に訊こうと近寄ろうとしたら、いつかのようにかぽりと口をふさがれた。
息は苦しくないようにしてくれているけれど……やっぱり人の手が顔に触れているのって、何だかちょっぴり気持ち悪い。
離してくれとその手を叩いて主張すると、意外にもすんなりと離してくれた。


「シードラゴンって?」


そんな名前は聞いたことがない。
首を傾げて見上げた先で、カノンさんが気まずそうに横を向いた。


「あー……俺は、海界で鱗衣をもらっていて、な。かつては海界をたばねる海将軍として、アテナを殺そうとしていたんだ」
「沙織さんを!?」


あんなに信頼関係がある沙織さんを、カノンさんが殺そうとしていたなんて。
驚いて大きな声を出したら、男の人が苦笑していた。


「理由はどうあれ、シードラゴンは立派な将軍だったぞ?じゃなきゃ、俺達もついていこうと思わない」
「へえ……。あ、でも、何となくわかります。カノンさん、面倒見がすごくいいですもんね!」


私のことも何かと気にかけてくれるし、本当にいい人だ!
自然と笑顔になって、男の人に何度もうなずく。


少し驚いた顔をされたけれど、すぐに笑って頭をなでられた。
ちょっと怖そうだと思ったけれど(片目がつぶれているからだろうか)、笑うと優しそうだ。


「シードラゴン」
「カノン、だ」


不機嫌な顔で訂正をするカノンさんに苦笑して、男の人が律義に言い直す。
言い直したついでに、とんでもないことを言い出した。


「カノン、彼女はあんたの妹か?」
「…………はい?」


思いっきり間が開いて間抜けな声をあげた私とは対照的に、カノンさんは驚きすぎて声も出ないらしい。
口を開け閉めしているカノンさんに首を傾げて、男の人が不思議そうに続けた。


「違うのか?あんたが連れてくるって言うから、てっきりそうかと思ってたんだが……」
「あの、いえ、私は聖域でお世話になってるだけなんです」


思わず口を挟むと、カノンさんに向かっていた視線がこちらに向く。


「初めまして、って言います。沙織さんが行ってらっしゃいって言って、カノンさんに連れて来ていただいたんです」


あ、これ、お土産です。


ぺこりとお辞儀をするついでに、持っていたアップルパイを手渡す。
数瞬きょとりと手元を見た男の人が、我に返ったように慌てて顔を上げた。


「俺はクラーケンのアイザック。日本人なんだな」
「はい」
「俺の弟弟子も、日本人だった」
「そうなんですか!?」


聖域ではアジア系の人を見たことがなかったから、てっきりヨーロッパ系の人しかなれないものだと思っていた。
本気で驚いてアイザックさんを見上げると、苦笑しながらまた頭をなでてくれた。












(みのりさんのリクエストから派生。書こうと思ったら、予想外に長くなりそうだった罠…。多分5話くらいで終わらせます。アイザックは早くもヒロインにキュンキュンした模様)