ぽろん、ぽろん。

白くて繊細な手が、小さなハープを爪弾く。
その度に小さくて可愛らしい音が響いて、うっとりと聴き入ってしまった。

お母様が弾いているのは、壺とかによく描かれているような形のものではなくて、オーケストラのハープをものすごく小さくしたようなものだ。
なんだっけ、千と千尋のテーマソングか何かを歌っていた人が使っているのを見た気がする。
見た目に比例して可愛く甘い音をたてるそれに、興味津々見入ってしまった。


   、これが気になる?」


そんな風に、お母様に笑いながら訊かれるくらいに。


「すごく可愛い音ですね。お母様も、とてもお上手です」
「ありがとう。アテナにもらったものなのよ」
「沙織さんが……」


道理で神話の世界とは違うものなわけだ。


……って、ちょっと待て。
そうなると、お母様はほぼ初めて見たこの楽器を、こんなに上手に弾いているのか?


「……お母様って、音楽の神様でしたっけ」
「いいえ?それはアポロン。私ではないわ」
「なら、どうしてそんなに軽々と弾けちゃうんですか……!?」
「少しコツをつかめば、誰でもこれくらいは弾けるのよ」


うふふ、とお母様は笑うけれど、絶対にありえない。
お母様に天の才があったに違いない。
本当に、神様は規格外なんだから!

何でも器用にこなしそうな沙織さんを思い浮かべて、女神様達ってすごすぎると改めて思う。
アルテミス様もデメテル様もきっと、何でも器用にこなすんだろうなあ。


は、どんな曲が好き?」


不意にお母様にそう訊かれ、何と答えようかと首をひねってしまった。
ベートーベンの迫力のある音楽も好きだし、ハイドンやマーラーの壮大な音楽も好きだ。
逆に、モーツァルトやショパンのピアノ曲のような、静かな曲も好きだ。

……ポップスやジャズには詳しくないので、何とも言い様がないけれど。


「ええと……うるさくなければ、何でも好きです」
「まあ、貴女らしい」


くすりと笑ったお母様は、その指でいくつか和音を爪弾いた。
そして、確かめるように数度弦を弾いて、綺麗な声で歌い出す。


   冥き冥き地の底の果て、死者を統べる王は静かに暮らしていた」


歌声と共に、ハープが物悲しい旋律を奏でた。
静かな短調は、聞いているだけでこちらの心を締めつける。


「常闇の王はいつも独り。皆に忌み嫌われ、畏れられ、独りきり」


   ああ、お父様の歌だ。
とても悲しい、お父様の歌だ。

こんな歌、ギリシャ神話のどこかに詠まれているんだろうか。


「妻と会えるのは春の一時だけ、それも束の間の平穏」


そう、お母様が冥界に行けるのは、春の間だけ。
それ以外はずっと、お父様はエリュシオンで独りきり。
あんなに優しい人なのに、とても悲しいことだ。

どうしてお父様だけ、そんな思いをしなければならないんだろう。
泣きたい気持ちになったその時、曲調ががらりと変わった。

物悲しいものから、明るく軽やかなそれに。


「けれど、彼には愛し子ができた。彼の者を明るく照らし、癒し包みこむ愛娘」




   ん?




ちょっと待て、神話にはお父様の娘なんていないはずだ。
どうしていきなり、そんな話になるんだ?


「笑顔愛らしく、振る舞い穏やかで、娘は父の孤独を癒す。知らぬ間に癒す」


……ええと。
これはもしや、つまり。


「愛すべき娘、冥界の光。彼女がいれば、そこはいつでも常春のようになった。死者の王は最早孤独ではない、光が傍にいるのだから」


その言葉と共にハープを爪弾く手を止めたお母様が、にっこりと笑う。


   どうかしら?思いつくままに歌ってみたのだけれど」
「即興だったんですか!?」
「ええ、もちろん」


内容に突っ込むよりもまず早く、今の素敵な曲が即興だったことに反応してしまった。
さすが女神様、できることも半端ない……。

気に入った?と小首を傾げられて、ぶんぶんとうなずく。
こんなにハイレベルで素敵な即興、初めて聞いた。
うなずいてから、はたと気がつく。


……今のって、もしかしなくても……。


「あの、今の曲、私のことですか……?」
「そうよ!私達の愛しい娘」
「私、そんな大層なものじゃないです……!」


そろりと訊けば、満面の笑顔が返ってきた。
お父様を癒すとか、そんな恐れ多い……!

私はただ、大好きなお父様に会えるのが嬉しいだけなんだから!

しかも、春とか……!
冥界に春とか……!
それはお母様がいらっしゃる間だけでしょう!?

とてつもなく誇張して歌われた恥ずかしさに、顔が真っ赤になってしまう。
そんな私の髪の毛を何度も梳いて、お母様は優しく微笑んだ。


「貴女がいるだけで、あの方は癒されているのよ」
「そんな、だって   
「今まで、貴女のように無償の愛を向ける者は、神にも人にもいなかったのだから」


その一言に、胸を突かれた。


   ずっとずっと、エリュシオンでお母様を待ち続けるお父様。
タナトスさん達がいるとはいえ、基本的にはずっと独りのお父様。
そうして待っているお母様ですら、最初はお父様を拒んで泣いたという。

   どれほど永い間、お父様は孤独に耐えてきたんだろう。
さっきの歌を聞いていた時よりも、さらに強く胸が痛んだ。


「……お母様」
「なあに?
「今度お父様のところに行ったら、駆け寄ってぎゅってしてみます」
「そうね、きっと喜ぶわ」
「一緒にお菓子作って、文字を教えてもらって、いっぱい一緒に時間を過ごします」
「そうしてちょうだい、愛しい娘」


私を見つめるお母様の目はとても優しくて、だからこそ余計に強く思った。
お母様がいない間は、少しでも代わりになれるように頑張ろう。
少しでも、お父様が寂しくないように。












(お母様が弾いているのは、ライアー(リラ)と呼ばれる楽器。正確にはライアーハープ(リラ)は神話に出てくるそのまんまの形なんですが、今回は比較的お手軽に手に入る近代のライアーをイメージして下さい)