好きな人が、できました。
とてもとてもまぶしい人です。








ラファエルの片恋









困ったなあとこっそりとため息をついて、どうにか前が見えないものかと一生懸命背筋を伸ばしてみる。
けれどそんな努力もむなしく、目の前にそそり立った壁はびくともしなかった。
この先生は板書が速いのにと、自分でも眉が下がるのがわかる。


隣の子が気の毒そうな視線を向けてくるのにも気づいているけれど、だからといってどうすることもできなかった。


この予備校は座席指定制。
席を取るために余力を裂かなくていいのは助かるけれど、こういう時は本当に困る。
前の席に座っている長身の男の子の背中を見て、再びこっそりとため息をついた。


また来週も見にくいのか。
時々この位置になるけど、ちょっと困るなあ。

いっそのこと座席固定で一番前に行ってしまおうか。
いやいや、先生の真ん前で講義を聞く度胸はない。


ふるふるとかぶりを振ってもう一度精一杯伸びてみたところで、不意に前の子が振り向いた。




「あ」
「……あ」




どうしよう、気まずい。
ものすごく気まずい。


びしりと固まった状態で2秒ほど見つめあったところで、男の子がものすごく申し訳なさそうな表情になった。


「……ごめん。俺、邪魔ですよね」
「いえ、あの」
「なるべく視界を遮らないようにしてみるから」


小さい声でそう言った彼は、本当に大きな背を縮こまらせてくれた。
かと思うと、少しして送られてきた小さな紙切れ。


『さっきまでのノート、後で見せます』


……律義な人だと、しみじみ思った。












「本当にごめん、気づかなくて」
「気にしないで、席の関係だもの。予備校が勝手に指定するんですし」


仕方がないと笑って言ったけれど、彼はますます申し訳なさそうに身を縮めるばかりだ。


「あ、これ、今日のノート。よかったらコピーしてください」
「あ、ありがとうございます」


それは真剣にありがたかったから、素直に頭を下げてノートを受け取る。
後ろからだとわからなかったけれど、彼は氷帝の人らしかった。


「俺、鳳って言います。来週も見にくかったら言ってください」
「そんな、きっと大丈夫ですよ。ありがとうございます、気を使わせちゃってすいません」


あんまりにも平身低頭されて、かえってこちらの方が申し訳なくなってしまう。
小さく眉が下がったのに気づいたんだろう、鳳君が恥ずかしそうに笑った。


「……何だか俺達、お互い頭下げあってて変ですね」
「……そうですね」


もうほとんど人のいなくなった教室を出て、教務前のコピー機でカラーコピー。
立ち上がってみると鳳君は驚くほど背が高くて、思わず馬鹿みたいに口を開けて見上げてしまった。


「……鳳君、背が高いんですね」
「ああ……中1の時に伸びたんですよ。それから全然変わってないんだけどなあ」
「それだけ伸びれば十分だと思うけど……」


190はあるんじゃないかってくらいに感じる。
まだ伸びたかったのかと見上げれば、そういうわけじゃないと苦笑された。


さんも、女の子にしては背が高いんじゃないですか?普通はもうちょっと目線が下になるような……」
「うん、平均よりはちょっと高めかも。中途半端に高くて、ちょっと微妙なんですけどね」


どうせ高くなるなら、モデルみたいに高くなってみたかった。
男の子のノートとは思えないほど綺麗な字で書かれた鳳君のノートを複写版から外しながら、162という何とも微妙な身長を思い出してため息をつく。


洋服とかも『158〜162』とか、本当にぎりぎりで。
気に入った服でも着てみたらサイズが微妙に小さかった、なんてこともたまにある。


「俺の従姉妹がモデルやってるけど、服も靴もなかなかサイズがないって文句言ってたよ。高すぎると苦労するのは、男も女も一緒みたいで」
「鳳君もサイズ探しに苦労してるんですか?」
「時々気に入ったデザインのサイズ展開がなくて、困るっていうのはありますね」


鳳君が人の良さそうな顔で困っているのが想像できて、思わず笑いがもれてしまった。
ありがとうございますとノートを返して、そのまま何となく一緒に駅まで帰ることになった。


それとなく私のペースに合わせて歩いてくれる鳳君は、本当にいい人だと思う。
何も言わなくてもこういう気遣いをしてくれる人、すごく素敵だ。


「精華……だよね、その制服」
「あ、うん。鳳君は氷帝だよね」
「そうそう」


氷帝に通っている幼なじみがいるのだと何の気なしに言ったら、名前を聞いた鳳君が少し驚いていた。


「賀瀬か……演劇部の?」
「知ってるんですか?」
「一応は。結構有名人ですよ、あいつ」


小さく笑った鳳君は、幼なじみの武勇伝をおもしろおかしく教えてくれる。


本当に酷いことばっかりしてるな、祐也。
今度会ったらちょっと注意しなければ。


演劇にばっかり気力を注いでいそうな幼なじみの顔を思い出して密かに決意をしていると、鳳君が我に返ったように顔を上げた。




「あ   じゃあ、ここで」
「あ、はい。また来週」




言われて気がつけば、いつの間にか駅の改札前。
帰る方向が違うから、もうここで別れだ。


JRの改札を通ったところで頭を下げあって、そんな互いにまた笑いあう。


「さよなら、さん。気をつけてね」
「鳳君も。さよなら」


今度こそ手を振り合って、別々のホームを上る。
背の高い鳳君はホームを隔ててもすぐに見つけられて、銀色の長身を見ているだけで何だか元気が出てきた。


帰りの電車の中でさっきのやりとりを思い出して、自然と口元がほころんだ。


鳳君、本当にいい人。
今日はちょっといい日だったかも。
来週もまた、話せるかな?


嫌いな数学の授業が少しだけ好きになれそうだった。