突然だけれど、私の身体が退化しました。

いや、猿人になったとかそういうんじゃなくて、ざっと見積もって6年ぐらい。
会議中に寝落ちして、次に気がついたらホルマリン漬けだらけの薄暗い変な場所にいた。
妖怪みたいなおじいさんと、これまたちょっと変わった黒猫。


……うん?ここどこだ?


正直に言わなくても理解不能状態の私に、おじいさん(のちにオヤジさんというのだと知った)(本名?本名なのそれ?)が親切にも説明してくれた。


「どうやらお前さん、次元の狭間から落ちたらしいな。ヒヒヒヒヒ」


……うん、思い出したら全然親切じゃなかった。
寝落ちで次元の狭間落ちって、何だそれ。

そんなわけで、一通りの通信手段を駆使して自分が異世界人だと認定せざるをえなくなった私は、現在このオヤジさんの家にお世話になっている。
屈辱的にも、高校に通いながら。


「おはよう」
「おはよう、タキちゃん」


クラスメイトに挨拶をしながら、今日の時間割を確かめる。
2限目に数β、5限と6限に物理と化学が入っている。……厄日だ。

理数系なんか大っ嫌い!
ようやくおさらばできたと思ったのに!
せめて大学なら、自分の好きな科目だけ選択できたのに!!

内心ぎりぎりと歯ぎしりをしながらタキちゃんとお昼休みを過ごしていると、ドアががらりと開かれた。


   タキ」
「あ、夏目君」


この世界に来て何が一番よかったかって、あの夏目貴志がいることだ。

ニャンコ先生に一目でいいから会ってみたい。
つるふかと評判の毛並みを抱っこしたい。
ガラコの毛並みはつやふかだから、抱き比べてみたいのだ。


「おはよう、夏目君」
「ああ、おはよう   


私の名前を呼ぶ時に一瞬間があったのは、絶対思い出していたからだ。
彼の中で、私は『タキの友人』だろうから。


しかしどっこい、何の因果か、私は彼が妖としゃべっているのを何度か目撃している。
そう、『妖と』話している。
こちらに来た拍子に、どうやら妖が見えるようになってしまったようだ。

死ぬほどいらん、そんなオプション。
どうせなら退魔の力もセットで付けてくれ。
見える「だけ」なんて、物騒にもほどがある。

教科書の貸し借りをしている二人を見ながらそんな事を考えていると、夏目君の背後に黒い影がかかった。
ぬぼうと大きな妖。
害意はなさそうだけれど、ここで騒ぎになったら夏目君が困るだろう。


そんな風に考えていたから、つい口を出してしまった。


「夏目君、後ろ。早くどっかに行った方がいいよ」
   え?……あ」
「夏目君?」


訝しげに振り返った夏目君は、さっと顔色を変えてこちらを見た。
不思議そうに問いかけるタキちゃんに早口で詫びると、そのまま小走りに教室を出て行ってしまう。
ぼんやりとそれを見送っていると、タキちゃんが首を傾げてこちらを見た。


、夏目君どうしたんだろうね?」
「さあ?大自然に呼ばれたんじゃない?」


斜め上をいく答えを返すと、タキちゃんはおおいにウケてくれたようだ。
机に突っ伏して痙攣している。


……あんた、それだから大好きよ」
「どうもありがとう?」


お礼を言うべきかどうか悩んだ末、一応疑問系で返しておいた。
それにタキちゃんがまた笑ったけれど、無視だ無視。


とにかくまあ、そういういきさつで、私は夏目君と友人になった。
もちろん、ニャンコ先生も抱っこさせてもらいましたとも!
つるふかって不思議な感触だね……ガラコとはまた違う触り心地で、癖になりそう。

そんなこんなで、夏目君が私の居場所もとい地獄堂に来るのが当然になったある日。


「オヤジぃ!」


階下がいやに騒がしい。
小学生だろうか。

ちょうどお茶も切れたところだしと、様子見がてら立ち上がった。


「夏目君、お茶入れてくるね。アールグレイとカモミールとアポロン、どれがいい?」
「……どれもよくわからないから、に任せるよ」
「じゃあ、アポロンにするね。ちょっと甘いのが飲みたい気分」


ニャンコ先生は?と訊くと、やっぱり日本酒をご所望。
小学生にはオレンジジュースでいいだろうかと思いながら下に降りると、何故かものすごく驚いたような目で見られた。


「……いらっしゃい。せっかくだから、お茶かジュースでも飲んでいきなさいな」


こういうのはあれだ、気にした方が負けだ。
見たところ妖でもないようだし、オヤジさん謹製の護符を使う必要もないだろう。
個性的な3人を見ながら内心冷静に判断していると、クールビューティーな男の子が口を開いた。


「……お姉さんは、ここに住んでるわけ?」
「ああうん、ちょっと前から。それで、紅茶と緑茶とジュース、どれがいい?」


探るような視線をさらりとかわして、マイペースに訊き返す。
少年は意表を突かれたような目をしたけれど、すぐに「紅茶」と返してきた。
それに便乗するように、他の2人も声をあげる。


「俺ジュース!」
「僕も!」
「はいはい、ちょっと待っててね。……オヤジさんは緑茶でいいですよね?」


親父さんがうなずくのを確認して、キッチンに入る。
まずは紅茶用のポットを用意して、たっぷり6杯分の茶葉で淹れる。
時間を見つつ緑茶を淹れて、こちらは急須に保温。
砂時計が落ちきったところでティーポットからサーブ用のポットに移せば、全員分の完成だ。

まずは1階のみんなに配って回り、私達の分を持って上がろうとしたところで、クールビューティー少年がちらりとこちらに視線を向けた。


「……これ、何のお茶?」
「マリアージュ社のアポロン。私のお気に入りだよ、少年」


普通のお茶とは違うと気づいてくれた嬉しさで顔をほころばせると、少年はふうんと呟いた。


「今度買ってみようかな」
「あ、買うなら銀座の三越がお勧め。商品の回転が早いから、いつでも新鮮だよ」
「へえ」


じゃあね、と言いおいて夏目君のところに戻ると、ニャンコ先生が待ちきれないようにたしたしと前足で床を叩いた。


「おい、!早く酒をよこせ!!」
「真っ昼間から酔っぱらい親父みたいな発言はやめようね、先生」


そう言いながらとっくりとおちょこを置くと、大喜びで呑み始める。ああ、可愛い。


「ずいぶん時間かかったな」
「うん、お客さんにもお茶出してきたから。それより、今日の数学の宿題教えて!」