ー、後で枕投げしようぜ!」
「枕投げ!?したことないよ、私」






温泉ポン!






大はしゃぎの向日の提案に目を輝かせて、が満面の笑顔になる。
今まで何度も合宿を経験しているが、女子校の性なのか枕投げはほとんどの生徒がやらなかったのだ。


「マジかよ!って、あー……知らなくてもしょうがないか」


(一応)記憶喪失である(ということになっている)彼女の事情を思い出したのか、明るく笑っていた向日が気まずそうな表情になった。


「気にしないで、がっくんに教えてもらえばいいんだもん!女だからって負けないからね!」


本当にやったことのないは、そんな向日の様子などお構いなしで大はしゃぎだ。
そんなを見ているうちに、向日もだんだんどうでもよくなってきた。


2人ではしゃいでいると、それを発見した芥川と菊丸が乱入してくる。


「岳人ばっかずりー!」
ちゃん、俺もー!!」

「うわっ、重っ……!」


2人からいきなり飛びかかられて、さすがのも倒れそうになる。
よろけた瞬間に誰かを下敷きにして倒れることを覚悟したが、誰かにしっかりと支えられていることに気づいた。


   大丈夫?危なかったね」
「……ほんとにね。ありがと、不二君」


さりげなく支えていた腕を外し、不二は菊丸を軽く睨む。


「英二。いきなり走っていくから何かと思ったら……ちゃんは女の子なんだから、もっと気をつけてあげなきゃ」


芥川君もとたしなめられて、2人は揃ってしゅんとなる。


「いいよ、別に。悪気がないのはわかってるし、ね?」


よしよしと芥川の頭をなでて微笑むに、不二が苦笑をむけた。


「あんまり甘やかさないでよ?特に英二は調子にのるから」
「はーい」


そのまま不二に先導されて着いた大広間で豪華な食事に感動したり、窓から見える景色に歓声を上げたり。
そうこうしているうちに、あっという間に夜になってしまった。









襖のノックと共にリョーマに呼ばれ、は手早く帯を結んで顔を出す。


「どうしたの?」
「温泉に   って、もう着たの?」


呆れ顔のリョーマにがむくれるが、他の2人は思いもしない彼女の格好にあんぐりと口を開けた。


「おい、……何だその格好」
「宿の人が用意してくれたの。可愛いでしょ?」


白地に古典柄の牡丹が舞っている、緑地にも紅地にも見える浴衣。
どう考えても、宿備え付けには見えない。


「多分景君が用意してくれたんだと思うんだよねー、あの人とんでもないものをぽーんと買ってくれちゃう人だから」


以前に渡されたプレゼントの数々を思い出して、も苦笑する。
この浴衣の値段が5万をくだらないことなど、軽く予想はついた。




「……まあ、跡部だもんな」
「何があっても驚きませんよ」
「……そうだね」




3人が無理矢理納得したところで、桃城がノックもなしにドアを開けて飛び込んできた。


「ちーっス!あ、さんもいたんスか。温泉行こうぜ、越前!」
「あ、私も行く!」
は女湯だろ」
「1人で行くのつまんないもん」


リョーマに後ろから抱きつきながら、が小さく口をとがらせる。
その様子を見ていた日吉が、無言で宍戸と目を交わした。
桃城も河村と笑い合い、めいめい立ち上がる。


「……どうしたの?」
「俺達も温泉に行くんだよ。やっぱ一番風呂だろ」


がりがりと頭をかいた宍戸の不器用な気遣いに、思わずの頬がほころんだ。


「私も準備してくる!」
「おー」


慌ただしくが襖の向こうで準備をしている間に、それぞれが他の部屋のメンバーにも声をかける。
断る者もおらず、結局全員揃ったのを見たの表情は、なんともおもしろかった。


「……狭くない?」
「余裕だ」


何故かそろりと訊いたに即答し、跡部はにやりと笑う。


「跡部をなめんなよ?」
「……あははは、そうでした」


跡部財閥を常識の物差しで測ってはいけないと思いだし、が乾いた笑い声をあげる。
そんな彼女の肩にちゃっかり腕を回した忍足が、(違う意味で)とろけそうな笑みを浮かべた。


「可愛え格好やなあ、
「景君が用意してくれたの。こんな柄も色も初めてなんだけど……似合ってる?」


不安げに見上げたに、忍足が無言で悶える。
さりげなく口元を押さえながら、跡部に向かって力強く親指をたてた。


「グッジョブ、跡部……!」
「俺様の見立てが間違うわけがねえだろ、あぁん?」


跡部も至極ご満悦だ。


「でも、よく浴衣なんて着れたね。難しそうなのに……」
「うーん……確かに1人で着るのは結構大変だけど、慣れるとなんとかなるよ?おはしょり整えられれば、後はどうにでもなるし」


自他共に認める美容部員・滝が首を傾げると、は照れくさそうにおはしょりをいじる。


「まだ、あんまりうまくできなくて……お風呂上がりにゆっくりやるね」


歪んだ着付けを見られるのが恥ずかしかったのか、そのまま小走りに女湯に入ってしまったを、思わず全員無言で見送った。


「なあなあ日吉、あれってそんなに簡単にできるもんなのか?」
「慣れればの話ですが。男物はもっと簡単ですよ」


実家が道場=和服という図式は、向日の頭の中ですでに常識らしい。
何とも言えない理不尽さに内心舌打ちをしながらも、日吉も丁寧に答える。


「俺、浴衣より甚平の方が楽で好き」


リョーマの一言が発端で、跡部が急遽全員分の浴衣と甚平を更衣室まで運ばせること
になったのだが……それはまあ、別の話。












「リョーマ、そっち狭くないー?」
「余裕。英二先輩達が泳いでるし」


敷居の向こうのリョーマの声にかぶるように、「おとなしくしろ!」という手塚の怒声が響く。
相変わらずだと小さく笑い、は竹でできた敷居にもたれかかった。


よく磨かれた竹はつやつやと渋い光沢を放ち、その感触の良さに旅館の質の高さを実感させられる。




「やっぱり、1人だとちょっと寂しいなあ……」




ぎゃあぎゃあとにぎやかな向こうの声を聞きながら、ぼんやりと景色を眺める。


確かに絶景なのは間違いがないけれど、できることなら誰かと一緒に楽しみたかった。
こんなに広くて素敵な湯船を独り占めしているだけで、十分贅沢なのだということはわかっていたこれど。




「……、タオル巻いてる?」




しばらく無言だったリョーマにぽつりと訊かれ、首を傾げながらもはかぶりを振った。


「ううん。旅館では、基本的にタオルを湯船につけるのはマナー違反なんだよ」
「違反でもいいから巻いて。今すぐ」


何故かささやくように、聞き取るのがやっとなほどの微かな声でそう急かされ、ためらいながらも大きめのタオルを身体に巻きつける。


「……巻いたよ?」


そろりと答えた瞬間、向こう側でざぱりと小さな音がした。
そして、さほど時間が経たずに、足下に不自然な水流。




   ひぁあっ!?」




思わず女らしい悲鳴を上げた自分にびっくりだ。

のんきにそんなことを考えるをよそに、それを聞きつけた忍足が半狂乱の声をあげる。


「どないしたん!?転んだんか、何か出たんか、それとも覗き   覗き!?」
「樺地、その馬鹿押さえとけ」
「ウス」


ばっしゃんばっしゃんと激しい水音がする男湯とは対照的に、女湯はしんと静まり返っていた。


「…………へ、平気!何でもない!足を滑らせちゃっただけ!!」


固まっていたが慌てて大きな声を出し、ようやく向こうの騒ぎもおさまる。
それを確認してから、は信じられないといったようなささやきをもらした。


「……何でこっちにいるの」
「この辺の敷居、下が開いてた。温泉の循環の問題じゃない?」


けろりと答えたのは、張り付いた前髪をかきあげているリョーマ。
さっきたまたま見つけたからと言うリョーマに、はがっくりと脱力した。


「そんな漫画の定番みたいなシチュエーション、ありかよ……!!」
「実際あったし。別にいいじゃん」


リョーマはけろりとしているが、仮にも男女。
しかもは、精神年齢18歳。


……気にするなっていう方が無理だってば……!


救いはリョーマが弟ポジションということか。
大きくため息をつきながら、リョーマを促して敷居から離れた場所に移動する。


「だからタオルを巻けって言ったのね……」
「見えないだろうとは思ったけど、一応ね」


岩にもたれて瞬き始めた星を見上げながら、ぽつりぽつりとそんな会話をしていると、
不意にリョーマが生意気な笑みを浮かべた。


「でも、1人は嫌なんでしょ?」
   え?」
、言ってたじゃん。それとも俺じゃ、役目不足?」


不機嫌そうに細められた猫のような目を見て、もどうしてリョーマがこちらに来たのかを理解した。


寂しくないように。笑っていられるように。
いつもいつも、私のために。


のために来たんだからさ、が笑ってなきゃ意味ないじゃん」


嬉しさがこらえきれなくなって、口をとがらせたリョーマに抱きついた。
ばちゃりとお湯がはねて顔にあたる。


「うわっ、ちょっ、!!」


真っ赤な顔でリョーマがぐいと押し退けようとするが、それに負けじとも抱きつく力を強めた。


「ありがとね、リョーマ!」
「離れてってば!胸!!」

「へ?   きゃああぁぁぁっ!!」


リョーマの言葉でぺたりと張り付いたタオル越しに存在を主張する胸に気づいて、が高い悲鳴をあげる。
すぐさま忍足が反応し、続いて他のメンバーもリョーマの不在に気づき始めた。


「何や!?どないしたん、!!」
「おい、越前どこいった?」
「あー!!」
「てか、さっき向こうでおチビっぽい声がした!」
「何だと!?越前!!」


手塚の怒声がびりびりと空気を振るわせ、リョーマがしまったというように首をすくめる。




「やっば……」
「どうしよ……」




まさか単にまったりしてましたとも言えず、2人揃って真っ青になった。
特にはレギュラー人による尋問(アゲイン)を想像し、すでに半泣きだ。


「あ、ああのね、何にもないから!イモリが出てびっくりしただけだから!」

ちゃん、そっちに越前いるよね?」
「え!!」


「い る よ ね ?」


不二の超絶笑顔がありありと想像できて、は何だか本気で泣きたくなってきた。
けれどそれでも、誤解を解こうと必死に声をあげる。


「リョ、リョーマは、私が1人で寂しいって言ったから来てくれただけだから!ほんとに何でもないから、リョーマは怒らないで?」
「でも   
「2人で話してただけだし、私も嬉しかったし。ね?」


懸命な声がよかったのか、少しの沈黙の後に不二の静かな声が返ってきた。


「……わかった。越前、もういい加減こっちに戻ってきなよ」
「……っス」


うわー向こうで色々言われんだろうなーという表情でリョーマがうなずき、再びざぱりと湯船に潜る。
その直前にささやかれた言葉に、は思わず微笑んだ。


   また、後で。


いつまで続くかわからない毎日だけれど、今この時も大切だから。
いつかくる別れに怯えないで、楽しく日々を過ごしていこう。

とりあえず、今夜の枕投げから!!