…………ル。
………………カル。




夢の中で、誰かが泣いている。
とても透き通った、   多分男の人の声。


どうしたの?
何故泣いているの?
あなたは誰?
誰を呼んでいるの?


疑問を投げかけたくても、私にできるのはただただ泣き声を聞き続けることだけ。
声を出すこともできないし、そもそも「自分」という存在を知覚できなかった。
もどかしさだけを抱えていつも目が覚めるから、最近の体調は芳しいとは言い難い。
睡眠不足のような頭を引きずって大学に向かうと、いつものように友達から挨拶をされた。


「おはよー。今日も顔色悪いねえ」
「うーん、最近夢見が悪くてねえ」
「お祓いでも行ったら?」


けたけたと笑いながら言う友達に無責任なと思いながら、いっそのこと本当にお祓いに行ってやろうかとも思ってしまう。

繰り返される夢はあまりにも悲しみに満ちていて、こちらの気分まで滅入ってしまうのだ。
そんな、慢性睡眠不足のような状態だから、授業中もついついうとうと。

そうして、また   




…………カル。
   ヒカル……!!




今回の夢は、いつもよりも鮮明にあの声が聞こえた。
そして、私も「私」として存在していた。
だからなのだろう、ずっと思っていた疑問を投げかけてみようと思ったのは。


   どうしたんですか?」


投げかけた問いに答えたのは、鋭くのまれた息と驚いた気配。
それに構わず、再度問いかける。


「ずっと、泣いてたから。   どうしたんですか?」
「……そなた、私のことがわかるのですか?」


透き通った声はいまだ涙に濡れていて、けれどとても綺麗だった。
ちゃんと会話が成り立ったのが嬉しくて、思わず声も弾む。


「ここ、1ヶ月くらい。あなたの声しか聞こえませんでしたけど……」
「私の、声が   そうですか……」


姿も見えない男の人は、それでも微かに笑ったようだった。
もらされた吐息が軽いものになって、空気も柔らかいものになる。


「私は、佐為。藤原佐為。あなたの名前は   ?」
「私は   


互いに名乗った瞬間、一気に視界が開けた。
白一色だった世界に、男の人が立っている。

平安時代のような烏帽子に、着物。
髪もずいぶんと長い。
けれどこの人には、これが一番しっくりくる気がした。


……そうですか、あなたはというのですか」
「は、   い」


噛みしめるように何度か私の名前を繰り返した佐為は、不意に表情を引きしめてこちらを見すえた。


   、お願いがあります」
「……何でしょうか」
「あなたもすでに気づいているはず、私はもうとうに現世の住人ではありません。それでも私はまだ、   碁が打ちたい」
「…………碁?」


思いがけない言葉に一瞬変換ができず、変な声が出てきてしまった。
それにも構わずに、佐為は深くうなずく。


「それに   心残りがあるのです。あの一局……ヒカルとの、最後の一局。きちんと形に残したい   


   ああ、だから。

だから彼は、いつも泣いていたのか。
その、「ヒカル」という人との一戦を途中放棄したことが悔やまれて。


ニュアンスで何となくそれを感じ取った私は、そっと佐為の腕に触れる。
それに佐為がひどく驚いた表情をしたけれど、何がそんなにおかしいというのか。


「……私の、力がいるの?私は何をすればいいの?」


布をぎゅうと握りしめる。
シルクでできているような着物はとても触り心地がよくて、頭のどこかで皺になるなあとぼんやりと思った。
戸惑った表情をしていた佐為は、けれどすぐに真面目な顔になる。


「あなたを、   あなたを、私の依代にしてほしい。この身では、碁石を持つことすらならない」
「私に、あなたの代わりに碁石を持てと?」
「ええ。虫のいい話だとはわかっています。けれど、私の存在に気づいてくれたあなたならば   !!」


言霊が。

佐為の言葉一つ一つに宿る言霊が、私の魂を揺さぶる。
碁を打ちたいのだと、まだまだ在りたいのだと、全身で訴えかけてくる。

元々こういう体質ではなかったはずなのに、言葉そのものの力をダイレクトに感じ取れた。
だから。


   いいよ。碁石の持ち方ぐらいしかわからないけど、私が佐為の代わりに碁を打つよ」


伯父が碁を嗜むこともあって、遊び感覚で持ち方を教えてもらったことならある。
こんな私でも役に立つならと、引き受けたくなった。
それを聞いて花のように微笑む佐為を見て、自分の選択が間違っていなかったことを知る。


「始めのうちは、体調が優れなくなるかもしれません。ヒカルも始めはそうでしたから   
「ああ、それは大丈夫。大学生だし、具合が悪くなったら寝てればいいよ」


現に今も、授業中だし。


軽い調子でそう答えれば、一気に佐為の様子が変わった。
今までの凛とした様子から、かなり慌てた表情に。


「い、いけません!!学生たるもの、勉学にはきちんと取り組まなければ!!」
「平気だよ?別にレジュメはあるし、むしろそれさえあれば大丈夫な授業だし」
「そういう問題では……!!」
「真面目に出てるだけ偉いって。この授業、レジュメだけもらって出て行く人が多いんだから」


わたわたと慌てる様子は、まるで   そう、ゴールデンレトリバー系の大型犬のよう。

初めの印象とはかなり違うけれど、こちらの方が普段の佐為なんだろうと思えた。
そのギャップがおかしくて、思わず笑いがもれる。
そして、いつの間にか敬語がとれていた自分にも気づいた。

   どうやら私は、本当にこの人に気を許したらしい。
出会ったばかりのこの人に。

それがさらにおかしくて、笑いが止まらなくなる。


「……?」
「何でもない。   これからよろしくね、佐為」


挨拶の代わりに右手を差し出せば、何故か恐る恐る握り返された。
それが何故かは、感動したようにもらされた言葉で、何となくわかった。


「……温かい。人の手とは、こんなにも温かいものだったのか」


そこで友人につつき起こされたけれど、さっきまでとは全く違うことが一つ。
私の右隣で微笑む   佐為。