引き継げる技能は全て引き継いだ。
それでも足りないと感じた部分は、できる限り丁寧に記録しておいた。
旦那様方からお話をいただいたあの日から二月ほど、急いで行ったそれらが、少しでもこのお店のためになるといい。
いつの間にか日常になっていたお店を振り返り、これで最後と目に焼きつけた。


新しいお店への道は、奥様から簡単な地図を受け取っている。
かなり簡略化されているけれど、目印になるものはきちんと書きこまれているから、さほど問題はないだろう。
それに元々あてのない旅は得意だから、多少時間がかかっても気にしない。

道の途中で重い荷物を持ってしんどそうにしているおばあさんに会って、家まで運んでみたり。
子守を押しつけられてつまらなそうにしている男の子に、簡単な一人遊びを教えてみたり。

そんな風にのんびりと進んでいたら、目的の店に着いたのは夕方近くになってからだった。
さすがに遅くなりすぎたかと顔をしかめながら中に入ると、以前勧誘に来ていた人がすぐに気づいて近寄ってきた。


「待っていました!ようこそ、浪さん」
「遅くなりました。これからよろしくお願いします」


きっちり30度のお辞儀をすると、小さく笑われたようだ。


「真面目な方ですね。私は周、この店を任されています」
「店主さん……」
「はは、そんなにたいしたものではありませんよ。このぐらいの規模の店は、一族の中では珍しくないんですから」


謙遜する様子もなく笑う店主にうなずきながら、どうやらかなり大きな家が経営しているようだと考える。
旦那様達の言っていたことは、あながち間違いでもなかったのだ。
まあ、全商連で働いていたから、今更怖じ気づくことはないけれど。

ぐるりと見回したところ、店員の動きは前の店より数段いいけれど、全商連より数段にぶい程度。
接客態度もいいし、商品棚の分け方も合理的。
棚の間を動き回る姿も、てきぱきとして手際がいい。


となると、問題は裏の仕訳の段階か。
状況を把握したところで、店長に向き直る。

「私は何をすればいいんでしょう?」
「出納担当をお願いするよ。他にも気がついたことがあったら、遠慮なく言ってもらいたい」
「わかりました」


当面は全体の流れを見て、改善点を見つけていこう。
他にも、見えない問題があるかもしれない。

前のお店は居心地がよかった。
でも、仕事が惰性の続きになりかけていたのは否めない。
新しいことを見つけられる予感がして、気分が高揚するのがわかった。


職場の皆さんに挨拶をして、用意された文机で帳簿の点検を行う。
前のお店よりも、ずっと細かく正確な出納が記録されているのが、一目でわかった。

惜しむらくは、一日の出納が総計でしか記録されていないことか。
種別に行えば、四半期や歳末の決済時に、もっと作業が早く確実になるだろう。
過去一年分の帳簿をざっと見せてもらった結果、そういう結論になった。

何か気づいたことはあるかと問われてそれを伝えると、出納担当長の嶺さんは驚いたような表情になる。


「なるほど……面白いことを考えますね、浪さん」
「いえ、全商連の本部ではずいぶん前から採用されていたようです」
「本部……浪さんはもしかして、そこにいたことがあるんですか?」
「はい。旅の途中で、何か身につけられるんじゃないかと思ったので」


珍しいが、同じように修行に来ていた商家の跡取りなど、外部の人間はそれなりにいた。
別段おかしくはないだろうと思いながら答えたのに、嶺さんは何故か納得したようにため息をつく。


「……何か?」
「いえ、以前いらした店での方法など、我々には思いつかない発想が多いもので。全商連にいたなら納得です」


……そういうものだったのか。


確かに、前のお店でも驚かれることが多かった。
けれどそれは最初の頃だけで、半年も経たないうちにいつものことだと受け入れられるようになっていたのだ。
それほど斬新なものだったとは思わなかった。

斬新すぎる発想は、時に毒になりかねない。
余計なことをしてしまったかと奥歯に力を入れた時、ふと嶺さんが口を開いた。


「そういえば、最近茶州から珍しい野菜が入荷されるようになったんですよ」
「どんなものでしょう?」


もしかしたら、私が茶州からやってきたと聞いていたのかもしれない。
食いついた私に楽しそうに笑いながら、嶺さんは水ですと教えてくれた。


「少ない水でもよく育つ、水分が多い野菜が入荷されているんです。茶州は土地がやせているから、ああいう野菜が普及するとずいぶん楽になるでしょうね」
「そう……ですか」


よかった。本当によかった。
きっとそれは、私が黒州で分けてもらったものだ。

ライチのような食感で、少し甘みもある野菜。
木に生るものではないから野菜に分類こそされ、私の認識の中ではほとんど果物だ。
ひどい干魃で死者が出る地域も、あれで少しでも楽になればいい。
知らずゆるんだ頬を隠しながら、やっとの思いで呟いた。


――私の生きてきた意味は、もしかしてこういうことなのかもしれない。色々な出会いと
別れがあったあの場所が、少しずつ芽吹いていくのを感じた。