あれから何年経っただろう。
多分、私の身体の記憶が正確ならば、2回ほど季節が巡ったはずだ。

あの夜ふらりと貴陽を出て、どこへ行こうかと悩んだ末に決めたのは、黒州だった。
あそこは治安がいいと聞いているし、比較的様々な技術が発達しているとか。
もちろん、農業についても言わずもがな。
これ幸いと一直線に黒州に向かい、そこで1年ほど様々なことを学んだ。


私が知っているよりもずっと効率のいい堆肥の作り方、知らなかった農作物、それにお金の計算の仕方や文字の読み書き。
黒州の人は皆、親切だった。


結局あの時お伎女さん達からもらった水晶の像は売ることもなく、何となくお守り代わりのようになっている。
みんな、元気だろうか。


それから藍州に行って、河川を利用した様々な仕掛けや器具を見て回った。
こちらは見れば大体構造がわかったので、設計図をもらえるところはもらうという形でお勉強。
大学の工学部に入ったようで、少し楽しかった。

線がほんの少しずれても「そんなんじゃまともなもんにならねえだろ!!」と怒鳴られた日々のおかげで、今ではぴしりと正確な図面を書けるようになっている。
もちろん、簡単なものばかりだけれど。

それから少し、この国について勉強をして。
おとぎ話のようだとは思ったけれど、実際に摩訶不思議なものがあちこちをよぎっているのを見てしまったら、もう信じるしかない。


妹から借りた本だけでは補えなかった知識を得た後は、あちらこちらをふらふらしつつ、得た知識を他の地域に広めたり、逆に新しいことを教えてもらったり。
貴陽にいた頃よりも、毎日がずっと充実している。


そんな高揚感を覚えつつ、最もこれといって特産物も技術もない茶州に入った。
ここなら逆に、私の覚えた何かを伝えられるかもしれないと思ったから。


貧しい農村地域に、やせた土地でも作りやすい作物の種を配って、作り方を教えて。
治水が危ないと思ったら、こっそりと村の人にそれを知らせて。
傷薬の作り方なんかもその頃には随分上達していたから、無医師の村ではちょっとしたお医者さんの真似事をしたりもした。


そんな日々を過ごしながら、私は今日、とうとう茶州の州都に足を踏み入れる。
ここは商人の力が強いのだと、確か黒州にいる間に教えてもらった。

茶州は茶家一族の力が最も影響を及ぼしている場所だという。
そんな場所で、一体どういう風にそんなに強い力を身につけたのだろうか。

簿記まがいの勉強もできるかなあという、こっそりとした期待もこめて。


そう   踏み入れてしまったのだ、この場所に。


街に入ってまず聞いたのが、女性州牧が来たという事。


……まずいと、直感的にそう思った。
すっかり忘れていたけれど、そういえば秀麗が州牧として茶州に来るというイベントがあった気がする。
もしかして私は、そのイベント真っ最中に訪れてしまったのだろうか。

嫌な予感がひしひしとしながらも、一介の旅人と州牧の間にそんな接点などありもしないだろうと、腹をくくった。
そして足を踏み入れた、茶州の全商連。


「ごめんください、旅の者ですが   
「今忙しいんだよ、世間話なら後にしてくんな」
「いえ、少々ここで働きながら、勉強をさせていただきたいと思いまして」


うるさそうに手を振った男性が、私の言葉にぴたりと動きを止めた。
まじまじとこちらを見て、どう見ても薄汚れた多少嫁き遅れの女にしか見えない事を確かめて。


「……お前さん、算術はできるか?」
「多少なら。暗算は無理ですが、紙と筆があればある程度はお役に立てます」


値踏みするような視線が痛い。
けれどそれも、この2年で慣れてしまった。
どこでも最初は、私のような放浪者は怪しまれるものだから。


しばしの沈黙の末、男性はくいと奥を示した。


「ついてきな。ちょうど黄州からの荷が届いたところだ、実地で叩きこんでやる」












それからの日々はもう、ある意味地獄のようだった。

女だからという気遣いは一切なしに、重い荷物を運ばされる。
かと思えば、延々と出荷した荷物の運び先とその運賃を考慮した利益を算出させられる。
はたまた、入荷された荷物をどこにどう振り分ければ最も利益が上がるかを考えさせられる。

確かに「勉強させてほしい」とは言ったけれど……正直、こんなに大変な事になるとは思わなかった。


農作物に関しては、どんなにきつい作業でも耐えられた。
それが目に見える結果になって出てきたから。

けれど、今しているこの仕事は、紙の上の数値でしか結果が見えない。
それがこんなにしんどい事だとは、正直思ってもいなかった。


   私は一体、何がしたいんだろうと、そのとき初めて考えた。


農業の知識も得た。
多少ながら、治水と工学の知識も得た。
この国の歴史も知った。
薬の知識も得た。

そして今、商業にも手を出そうとしている。


……こんなにたくさん手を広げて、私は一体何をしたかったんだろう。
考えれば考えるほどわからなくなって、思わず積荷明細の山の中で呻いてしまった。


「普通」の生活を望んでいた私。
けれど今、   私はどこへ向かおうとしている?