何も知らないが、柔らかく頬をほころばせる。
何も知らない黄金達が、一様に訝しげな表情になる。
唯一知っているシオンと童虎は、いたたまれずにそっと顔を背けた。


するりと衣ずれの音がする。
懐かしい気配を纏うそれに、が満面の笑みで一歩踏み出した。

ゆるんだ頬で、大切な友人の名前を呼ぼうと口を開いた。
けれどそれは、音になる前に喉の奥で握りつぶされる。




「ようこそ、聖域へ。お帰りなさい   と、言うべきでしょうか」




穏やかに微笑んでそう言う沙織を、は大きく目を見開いて凝視した。
その目にはありありと、混乱の色が映し出されている。


何故、何故、どうして。
アテナはベスなのに、ベスしかいないのに。
シオンが生きているなら、アテナはベスのはずなのに。


ああ、でも、この子からはベスと同じ気配がする。
   いいえ、違う、やっぱりベスとは少し違う。

ならば、この子は誰?




ベスはどこ、どこ、どこ、どこ、どこ、どこ、どこ、どこ   !!




   、」


ベス、と声にしたつもりが、声帯が引きつって動いてくれない。
代わりに出たのは、空気だけが抜ける無様な音だった。
そんなを、弟子2人が痛ましそうな目で見やる。
何も知らない沙織が優雅に小首を傾げ、決定的な言葉を口にした。


「前聖戦の時代、先代アテナや黄金聖闘士達と親しくしてくださったそうですね。『私』の遺した文献やシオン達の話で、ずいぶんとうかがっていました」


先代の『私』に、名前をありがとうございます。


柔らかに続けられた一言で、は何が起きているのかを知る。
知って、それでも頭が理解を拒否した。


嘘、嘘、嘘、うそうそうそうそうそうそうそうそ   !!
ベスがもういないなんて、そんなこと!!


   シ、オン」
「……はい」
「……お前は、18になったんだよね?」


アテナは同じ時代に2人は現れない。
依代を変えればいいというわけでもない。

だから、アテナはベスのはず。


すがるような思いで訊いたに、シオンはそっと目を伏せた。


   この『肉体』は、18になりました」


以前と同じ返事を繰り返す。
けれどその違和感に、が眉を顰めた。
そして。




「私が過ごした年月は、262年になります」




の思考が完全に停止した。


「……262年?」
「はい」
「そんな、だって   じゃあ、どうして……」
「童虎はMISOPETHA-MENOS   神々の秘法によって。私は一度死した後、アテナの御力で甦りました」


常識を超えた事実に、が絶句する。


200年以上の時が流れていた?
数ヶ月しか経っていないのに?


青を通り越して白い顔で、彼女の思考はぐるぐる巡る。
そんな彼女の手を、沙織がそっと取った。

途端に身体になじむ、彼女の気配。
同じだけれど違うそれに、は否応なく真実を突きつけられた。


   もう、愛しいあの子はいないのだ。
愛すべき友人は一度この世を去り、そしてまた巡ってきたのだ。


ならば、言うべきことはただ一つ。
涙をこらえて、鮮やかな笑顔を浮かべる。




「久しぶり、そして初めまして、『アテナ』。貴女の名前は何と言うの?」




あの時と同じ言葉で、また新しい「こんにちは」を。