武者修行の旅に出ていた兄貴が、久しぶりに家に戻ってきた。
ガブリエルと嵐の日々
というのは冗談だけど、家に帰ったら珍しく兄貴がいた。
「あれ?珍しいね、私より早いなんて」
「まあ、たまにはゆっくりしてもいいかと思ってな」
だらりとだらしなくソファに沈みこみながら、兄貴が大きく息をつく。
「あ、」
「ん?」
疲れてるだろうとコーヒーを2人分淹れて渡したら、猫舌の兄貴は一生懸命吹いて冷ましながらふと顔を上げた。
「そういえばな、最近よく面倒みてやる氷帝生がいるんだけどな」
「ふーん」
「そいつ、おまえのことが好きっぽいぞ?」
ぶふうっ!!
「うおっ、汚ねっ!!」
思いっきり吹いたコーヒーが、兄貴の読んでた新聞にかかった。
どうせなら顔にかかればよかったのにと軽い殺意を覚えつつ、兄貴から新聞を奪い取る。
「何寝言を言ってるの!?どこの誰よ、それ」
自慢じゃないが、もてる顔だとも性格だとも言えないと、これ以上ない自信を持って断言できる。
兄貴の勘違いだ、そうに違いない。
「や、お前だって名前を出されたわけじゃないんだけど。氷帝の2年で最近髪をセミロングからばっさりショートにして、しかもテニス部の宍戸って奴と仲がいいらしい女って」
「私しかいないね」
なんだその表現のされ方は。
というか、そいつは本当に私のことが好きなのか?
「それ、言ったのが亮自身だってオチはないよね」
「ない」
「女の子だってオチは?」
「あれが女だったら、俺は明日から生物学の勉強を一からやり直さなきゃいけないな」
つまりは、どこからどう見ても男だと。
「最近いろいろ注目を浴びてるから、単に興味があるだけじゃないの?」
「そんな感じでもなかったけどなあ。ここ最近、お前の話ばっかりしてたぞ?」
……それはまあ。
何と言うか。
「正直、知らない相手にそういうことされると、かなり気持ち悪い」
「だよなー。クソ真面目でいい奴なんだけど……」
あんな弟ができたら毎日が楽しそうだと呟いた兄貴が結構本気に見えて、気色悪いこと言うな!と殴っておく。
ああ、めんどくさい。
「」
「んー?」
最近ようやく聞きなれた声に顔を上げると、日吉が仏頂面でプリントを差し出していた。
「鳳からだ」
「何だろ?」
「……俺は知らねぇぞ」
目をそらして日吉がぼそりと言う。
何のことかと思ったけれど、内容をざっと読んでみてその意味がわかった。
「…………日吉」
「…………何だ」
「今から言うこと、一字一句一挙動間違いなく鳳君に伝えてくれる?」
にっこり笑って。
勢いよくプリントを引き裂いた。
さらに細かく引き裂きながら、地獄のように低い声で言い添える。
もちろん満面の笑顔はオプションだ。
「こんなくだらねぇことに、私を巻き込むな?」
周りのクラスメイトがヒィ!と悲鳴をあげた気もするけど、そんなことは今は関係ない!
夏合宿のお知らせプリント。
マネでもない私にそれを渡す目的はただ一つ、曰く『一緒に来い』。
「誰が行くかっての!テニス部の知り合いは亮達だけで十分だってば!」
跡部先輩と忍足先輩に顔を知られただけで、十分失態なんだから!
ばしぃっ!とただの紙屑と化したプリントの残骸をゴミ箱に叩きつけ、日吉を睨みつけて顎をしゃくる。
「 と、伝えておいてちょうだいな」
さあて、後で直接お仕置きもしなきゃねえ?
昼休み、何も知らずにいつもの場所に来た鳳君の首根っこをつかみ、怯える彼に笑いかけた。
「何のつもりであんなプリントよこしたのかな?」
おかしいな、こんなに満面の笑顔で訊いてるのに、どうして鳳君は怯えてるのかなー?
「、その笑顔黒すぎだっての」
「嫌だなあ、黒いなんて気のせいだよ。ねえ?」
「はっ……はいぃっ!」
おもしろいほどよく反応する鳳君の両肩を力一杯つかんで、ずずいと顔を寄せる。
「で。あれは何のつ も り ?」
目の前の鳳君がヒィ!と悲鳴をあげた。
「あっ……ああ跡部さんに言われたんだよ!!さんならマネやっても平気だって……!」
「跡部先輩だね……?」
地の底を這うような声が出たのは、いたって自然なことだと思う。
それを聞いた鳳君がさらに怯えた表情をしたとか、亮が呆れた顔をしたとか、そんなことはまあ置いておいて。
「なんてことして下さりやがるんですかアンタ」
「俺様に向かっていい度胸だなあ、あぁん?」
3年の教室に殴り込みをかけてみた。
「無駄にエロい声を出さないでください。私は別に今更何とも思いませんが、周りの人に対する公害です」
ずっぱりさっぱり切り捨てて、跡部先輩を渾身の恨みを込めて睨みつける。
それでも動じないこの男が憎い……!
「決定事項だ。わかったな?」
「謹んでお断り申し上げます」
「監督にも話は通してある。逃げられねえぜ?」
こ の 男 !
握りしめた拳で殴ってやろうかとも思ったけど、後がいろいろと恐ろしそうだからやめておく。
「榊先生に直談判しに行きます」
「無駄だ」
即答かよ。
「とにかく、お前が来ることはもう決定事項だ。荷造りしておけよ」
「そのままとんずらかまして差し上げますよ」
「上等じゃねえか。とっ捕まえて連行してやるよ」
ばちばちと火花が散った。気がした。
さて、どうやって逃げきろうか。
そんなくだらないことに頭を振り絞った、ある夏の日。
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