ガブリエルと大和撫子
何度か来ているけれど、毎回思う。
なんて無駄なんだ、この屋敷。
跡部先輩の家は、住むには不要な部屋がありすぎると思う。
自宅で数百人規模のパーティーができるなんて、どれだけ広いんだ。
「あ、さん!綺麗だね」
「ありがとう。こんな格好、普段しないから変な感じなんだけどね」
ふわりとしたスカートの裾を引っ張ってみせると、鳳君が軽く笑った。
「似合うのに。もったいないなあ」
「お褒めいただいて光栄ですわ?」
冗談めかしてそう言ったら、鳳君の苦笑がさらに濃くなる。
ラベンダー色の上品な膝上ドレスワンピは、この日のために用意した わけもなく、前日に跡部先輩からぽんと貸されたものだ。
何でも、先輩のお母さんのものらしい。
金糸で細かい刺繍がされたこれは、おそらく目が飛び出るほど高いものなんだろう。
どうしてこんなものを貸されたのか、理解に苦しむ……。
汚したらどうするんだ、汚したら。
「、こっちだってよ」
亮に呼ばれてついていくと、花と調度品とで飾られた別世界が広がっていた。
思わず立ち止まってしまった背中に、誰かがどすりと衝突する。
「……何やってんだ、」
「ああ……いや、この別世界っぷりにドン引きしてただけだよ」
不審そうに目を細めていた日吉も、その言葉に中を覗いて納得したようだ。
絶句した気配の後、頭痛をこらえるような表情でため息をつくのが見えた。
「……すごいな」
「でしょ?しかも見てよ、この格好」
「跡部さんからか」
やっぱり少し改まった格好をした日吉は、そう言って小さく肩をすくめる。
亮の格好も見る限り、どうやら男性陣にもある程度のドレスコードが指定されたらしい。
亮や向日先輩は完全に服に着られているような格好になってしまっているけれど、日吉はどうにか様になっていた。
と思うのは、私の欲目だろうか。
小さく苦笑していると、忍足先輩にすいと手を取られた。
「……どうしたんですか?」
「エスコートや、エスコート。女は自分1人だけやしなあ」
「別に、そこまでしていただかなくてもいいですよ」
「黙ってされとき。俺にエスコートされんのも、これっきりかもしれんで」
いつもの調子で言われたその言葉に、思わず一瞬返事に詰まってしまった。
先輩は本当に、来年東京にいないつもりなのだ。
それを実感させられて、何も言えなくなってしまう。
「綺麗な格好しとるやん」
「例によって先輩からの借り物ですよ」
「よう似合っとる。跡部もセンスええな」
とても珍しい含みの何もないを浮かべて、忍足先輩が軽く私の頭に手を上下させた。
ただ優しいだけのそれに、こちらの調子が狂ってしまいそうだ。
「……どうせ、何かにつけてこちらに遊びに来るんでしょう?その時にお会いできますよ」
「だといいんやけどな。医学部は忙しいって聞くし」
長距離の移動ができるかどうかわからないとふざけたように言う先輩にため息をついて、手を引き抜く。
「テニス部の練習と自主練以上に忙しいとは思いにくいんですけど……先輩、時々京都に帰ってたでしょう」
できないわけがないだろうと暗に言うと、忍足先輩は一瞬虚を突かれたような表情になった。
次第にそれは苦笑になり、骨張った手が長い前髪をくしゃりとかき上げる。
「……せやなあ。やろう思えば、やれんことなんてないか」
「はい」
「ん。ありがとな」
そう言って笑った忍足先輩は、いつもからは考えられないような優雅な仕草でテーブルを指した。
「ほな、あちらへどうぞ?」
「ありがとうございます」
テーブルセッティングを見ると、アフタヌーンティーパーティーとは言え、略式の立食形式のようだ。
「内々のパーティーだからな。これぐらいがちょうどいいだろう」
「だよなー。これ以上と言われたら、俺怖くて参加できねえよ」
そう言った跡部先輩に向日先輩がけらけらと笑って、後ろでこっそりと亮がうなずいている。
鳳君は のほほんと笑っているところを見ると、割と慣れていると見た。
私はと言えば、日吉と目を合わせて肩をすくめる。
「これでちょうどいいって……普段どんな豪勢なパーティーをしてるのよ」
「同感」
私達の感覚では理解できないとため息をつきながら、用意されていたノンアルコールシャンパンを手に取った。
横にいた日吉にも渡して、跡部先輩を見る。
「お、。俺にもくれよ」
「はいはい」
手を伸ばしてきた亮にグラスを渡したのと同じタイミングで、先輩がすいとグラスを持つ手を上げた。
「今日はよく集まってくれた。 適当に楽しめ」
何とも先輩らしい音頭で全員がグラスを掲げ、ゆるやかにパーティーが始まる。
テーブルに並ぶのはそんなに大袈裟なテーブルマナーは必要ないものばかりで、少し拍子抜けしてしまった。
それでも、気負わずに飲み食いできるのは精神的にずいぶん楽で、後は服を汚さないように気をつけるだけ。
「は来年、どうするつもりなんだ?」
「受験ですか?外部を受けますよ」
「ほう」
おもしろそうに片眉を上げた跡部先輩が、視線でその先を促してくる。
別段隠すことでもないので、こちらもさらりと返した。
「第一志望は慶應の法科で。次は中央の法か、日大の芸術学部ですかね」
「はっ!ずいぶんおもしれえじゃねえか」
「前から興味あったんですよ、法学部。文章を書くのもおもしろいですし」
あの固い文章で、過去の積み重ねで、はたして本当に人を救えるのか。
人が人を裁くという行為は、傲慢ではないのか。
我ながらひねくれた志望動機だと思いながら答えると、跡部先輩が思いがけない大学を言った。
「どうせならICUぐらい受けろよ」
「ICUってどんなところですか?英語が半端なく大変だっていうのはよく聞きますけど……」
「おそらく、日本で一番海外の大学に近い環境で学べるところだ。やりがいはあるぞ」
「そこ、法学部はあるんですか?」
「さあな。自分で調べろ」
跡部先輩も知らないことがあるのかと、少し意外な思いで瞬いてしまった。
肩をすくめた跡部先輩は、そういえばどこの大学に行くつもりなのだろうか。
そう思いながら見上げると、先輩も気づいたようににやりと笑った。
「俺は海外に行く。日本の大学はぬるすぎるからな」
「具体的には ?」
「ケンブリッジか、イェールか、オクスフォードか……アメリカには行く気がしねえな」
「そうですか……」
先輩達が、どんどん遠いところに行ってしまう。
それがほんの少しだけ寂しくて小さく唇を噛むと、苦笑した先輩に頬をなでられた。
「頑張れよ」
「……はい」
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