やるだけやった。
大体頭に入った。
後はもう、人事を尽くして天命を待て。








ガブリエルと大和撫子









あの失敗があってからは、テーブルマナーの方にほとんどの比重をおくようにした。
どちらも中途半端になるリスクの高い方法をとるなんて、それこそ時間の無駄遣いだ。

茶道の作法もちまちまとやりながら、毎日学校帰りにナイフフォーク、スプーンの使い方。


「……まあ、これだけできれば上出来じゃない?」
「所詮内輪のパーティーだしな。そんなに目くじらをたてるほどじゃねえか」


もういいだろうと投げなりに提案したら、やっぱり投げやりにうなずかれた。
日吉もいい加減、この不毛なマナーにうんざりしていたらしい。

マナーが必要ないとは言わないけれど、ここまで形式張ったマナーが果たして本当に
必要かと問われたら、現時点ではノーと答えるだろう。


「それじゃ、明日」
「待て、送る」
「いいってば、あんた明日も朝練でしょ?」


この不毛な言い合いも、最近ずっと続いている。

最寄り駅が一緒なんだから、帰り道も遠くない。
そんなに神経質にならなくてもいいと思うんだけれど……。


「行くぞ」
「ちょ、待ちなさいよ!」


さっさと靴を履いてしまう日吉に怒鳴って、慌てて私も靴を履く。
これも何故か、毎回のことになってしまっていた。


「お前も女なんだから、少しは自覚を持て」
「たかだか40分くらいの場所でしょ、大丈夫だって」
「馬鹿、途中に暗い住宅街があるだろうが」


女は、力じゃ絶対に男に勝てないんだぞ。
鋭い目でそう言われて、返す言葉が見つからなかった。


   たとえば今、日吉が本気で私に殴りかかってきたら、ひとたまりもなく吹っ飛ぶだろう。
追いかけられたら絶対につかまるし、腕をひねりあげられたら振りほどくこともできない。

それがどうしようもなく悔しくて、唇を噛みながらうつむいた。




   どうして、私は女なの。




男なら、学校でも亮と気兼ねなく過ごすことができた。
日吉とも、悪友のような関係になれたかもしれない。
もっともっと、できることの幅が広がっていた。


そんなことを考えていたら、不意に頭に重みが乗った。


「男になりたかったなんて、思うなよ」


日吉の手、だ。


「生まれたものはしょうがない。ないものねだりをしても、今更どうしようもないだろ。にはの長所がある、それでいいじゃねえか」
「……そうだね」


きっと誰しも、こんな感情を知っているんだろう。
もっと背が高ければ、もっと頭がよければ、もっと体格がよければ。

けれど、いくらほしがっても、どうにもならないものだってある。
この言葉は嫌いだけれど、「しょうがない」のだ。


「わかったなら、それでいい」


日吉の手が乱暴に頭の上を左右に動いて、ぱっと離れる。
火に触ったかのようなその扱いに、怒るよりも先におかしさがこみあげてしまった。


慣れないことをするんだから、まったく。


もれそうになる笑い声を抑えながら、日吉の背中を軽く叩く。


「ありがと」
「ああ」


他愛のない話をしながら歩いていけば、40分の道のりは比較的早かった。


「じゃあ、樺地によろしく」
「伝えておく」


軽く手を振って門の前で別れ、引き返していく日吉を見送る。

すっかり暗くなってしまったけれど、日吉こそ大丈夫だろうか。
そんなことを思いながら見ていたら、不意に振り返った日吉が小さく眉をしかめた。


「早く入れよ」
「もう危なくなんかないでしょ」


まるでここも危険だと言わんばかりの口調に、笑って手を振る。


「送ってくれてありがと。気をつけてね」
「ああ、また明日」


スポーツをしているにしてはやや細身の後ろ姿が遠くなっていくのをしばらく見送ってから、さて入ろうと門に手をかけた。
玄関に入ると、途端にリビングからからかうような声が飛んでくる。


「ずいぶん遅いお帰りじゃねえの、
「……帰ってたんだ」
「男?男?お兄ちゃんは悲しいぞ!!」


わざとらしく泣き真似をしてみせる兄貴に封筒の束を投げつけて、強く睨みつけた。


「学校の友達!それ、仕分けしといて」
「はいはい」


肩をすくめた兄貴が、さっさかと郵便物を仕分けしながら顔を上げる。


「でもよ、お前最近、本当に帰り遅くないか?何やってるんだ?」


言葉だけ聞けば詮索に思えなくもないけれど、目にはしっかりと心配の色が見える。
兄貴なりに心配してくれているのがよくわかったから、ため息を一つこぼして素直に答えた。


「今度、先輩の家でティーパーティーをやることになったの。作法がわからないから、練習してる」
「へーえ……めんどくさいんだな、氷帝って」
「金持ちだらけだからねえ。立海は普通の家庭が多いんでしょ」


確かに名門だけれど、氷帝みたいな極端なハイソサエティーではなかったはず。
数年前の記憶を掘り起こして訊くと、兄貴もあっさりうなずいた。


「今はどうかわかんねえけど、俺がいた頃はな。ま、5年かそこらじゃ極端には変わらないと思うけど」


こういった悩みがないのは、うらやましい。
けれど、氷帝に入らなければ、こういったマナーを覚えることもなかっただろう。
これから先、必要になるとは考えにくいけれど、こういったものを身につけるのは嫌いじゃない。


「でもお前、茶道体験もするんじゃなかったっけか?」
「……そうだよ、忘れてた……!」


うっかりしてた。


これで日吉の家にお邪魔することもないと思っていたけれど、また迷惑をかけるのか。
人のいいおばさんの笑顔を思い出しながら、申し訳ない気持ちになった。


「まあ、頑張れよ」
「……無事に終わるように祈ってて、いろんな意味で」