儚げな貴方を見つめるだけで、私は十分でした。
大それた願いなど、何一つ持ちません。
ただ、ただ、貴方が幸せであるように。





菩提樹の祈り





幸村先輩を初めて見たのは、ありがちにも病院の廊下だった。

、平気か!?どっか痛くねぇ!?」
「お兄ちゃん、うるさい。ここ病院だよ」

ちょっと骨にヒビが入っただけなのに、お兄ちゃんたら騒ぎすぎ。周りの注目を集めて恥ずかしい……。
早足で出ていこうとしていた私の耳に、柔らかい声が聞こえた。




   丸井?」




   え?


こんなところに、しかもこんな声の男の知り合いなんていないはずなんだけど。
そんなことを思いながら振り向くと、絶世の美女が立っていた。

……いや、美少年だった……。

涼やかな目元に、優しげに弧を描いた唇。
その人を見たお兄ちゃんが、ぱっと笑顔になる。

「幸村!」

ゆきむら、さん。
こんな人、見たことない。

「おまえが一人で来るなんて珍しいな」
「や、今日は妹に付き添ってきたんだ」
「妹……?」

あ、目が合った。

「初め、まして」
「初めまして」

お辞儀がぎこちなくなっちゃったけど、幸村さんは笑顔で返してくれた。

「妹の!マジ可愛いだろぃ?」
「ちょ……お兄ちゃん!変態みたいだからやめてよ!


恥ずかしい……!


「すいません、お兄ちゃんたら」

お兄ちゃんの頭をぐいぐい押さえつけて、一緒に深々とお辞儀をする。
身内自慢はいい加減にしてほしい……!

「いや、丸井が言いたいこともよくわかるよ。しっかりしたいい子だね」

後半は、お兄ちゃんに向けて。お兄ちゃんはすっごい笑顔だけど、こっちは顔が熱くなってきちゃった……。

「だろ!?」
「とても丸井の妹とは思えない」

あ、それはちょっと同感。時々私の方がお姉ちゃんじゃないかと思えるもん。

「そうですよね、本当に我が兄ながら恥ずかしい限りで……」
深々とお辞儀をしたら、幸村さんが驚いたような気配がした。
視線の先には、ギブスがはまった私の足。

「……骨折?」
「あ、いえ、ヒビが入っただけです」
「ヒビ!?」

テニスをしてるなら(お兄ちゃんと仲がいい人なんて、テニスをやってるに決まってる)それくらい珍しくもないだろうに、幸村さんは酷く驚いたようにまた私の足を見た。

「駄目じゃないか、女の子が」
「え、別に男とか女とか関係ないですよ。騎馬戦なら本気のぶつかり合いですから!」

切り込み隊長の私としては、ここは譲れない。

……やっぱやめようぜー、切り込み隊長」
「何言ってんのさ、やっと勝ち取ったんだからね!」

女子校の割にと言うか、女子校だからと言うべきか、好戦的な子が多いうちの学校では、切り込み隊長の座は激しい争奪戦だ。
じゃんけんの末に勝ち取ったこの役目、今更誰かに譲るなんてできない……!

「でも、その足じゃ練習もできないだろう?」

幸村さんが心配そうに眉を曇らせる。
お兄ちゃんが「そうだ!もっと言ってやってくれ、幸村!」みたいな目で幸村さんを見るのが微妙にムカついたけど、それはまあ無視して幸村さんに笑いかけた。

「大丈夫ですよ、お兄ちゃんのトレーニングマシンで準備しますから」
確か足用のもあったはす。



「丸井……?」
「すぐ捨てる!今すぐ捨てる!!」



幸村さんが笑顔でお兄ちゃんを見たら、お兄ちゃんが死ぬほど慌てて叫んだ。
何をそんなに慌ててるの?

「ちょっと、捨てるなんて何考えてるの!?あれ、いくらしたと思ってんのさ!」
「う……」

口ごもったお兄ちゃんの代わりに、幸村さんが私を見る。

「丸井さん、女の子はあんまり筋肉をつけない方がいいと思うよ。落とすのも大変だしね」


ちょっと困ったような顔で見ないで……!(決心が鈍る!)


「で……でも、本番で使いものにならない切り込み隊長なんて、用なしじゃないですか!もう陣形も組んじゃってるし、今更変更なんてできません」
「そうか……それじゃあ、無理はしないように。本番はいつ?」
「10月です」

まだ、ずいぶん先。だからこんな無茶もできるんだよね。

「最後の体育祭ですから、絶対後悔したくないんです」
「最後……?」

「あ、こいつ今年で中3」

首を傾げた幸村さんに、何故かお兄ちゃんが自慢げに答えた。

「ああ、受験なのか」
「はい」

「どこに行くかは決めてあるのかな?」
「立海に」

ずっと前から決めていた。
お兄ちゃんがいるからじゃなくて、吹奏楽の強豪だから。

はっきりと答えると、幸村さんは軽く目を見開いた後に、ゆっくりと嬉しそうに微笑んだ。

「そうか、待ってるよ。高等部編入は中等部よりも難しいから、頑張ってね」
「はい!   って、え……?」

知らなかった。立海ってそんなに難しいところだったんだ……。
お兄ちゃんが入れたんだから、私も大丈夫だと思ってた。

顔から血の気が引いた私を、お兄ちゃんが心配そうに見てる。

「だから言ったじゃんか、うちはそんなに甘くねぇって」
「だって、お兄ちゃんの言うことなんか話半分だったんだもん」

この時期になるまでそんなに勉強してなかったのは、確かに私が悪い。
どうしようとパニック状態に陥っていた私の耳に、柔らかい声が入ってきた。



「俺でよかったら、勉強を見ようか?」
「え?」

「お、いいじゃん!、幸村ってな、頭いいんだぜ?教えてもらえよ」

名案とばかりにはしゃいでるお兄ちゃんと、その横で微笑んでる幸村さん。
こっちはいまいち状況がわかってないんだけど……!

「あの、でも、部活があるんじゃ」
「それが終わってからでいいなら、俺が丸井さんの家に行くよ」


家庭教師。どう?

茶目っ気たっぷりに片目を瞑られても……(いや、確かに色気はビンビン伝わってきましたが)

「教えてもらえよ、幸村に教わればすぐに成績伸びるって!」

何故かすごい勢いでプッシュするお兄ちゃん。
幸村さんもこんなに言ってくれてるし、頼んじゃおうかな……?

「よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀。

「よろしく。俺は幸村精市だよ」
「あ、丸井です」

ゆきむらせいいち。
どことなく綺麗な印象を与えるその名前を、心の中でそっと繰り返した。