叫び続けた菩提樹の元に、詩人は帰ってきた。
ここに幸があったんだね、と。
菩提樹の祈り
状況が理解できていない私の前で、先輩と沙紀さんの会話はどんどん進んでいく。
「いや、丸井さんが今」
「妹が?そうかブン太か、よーし行ってくるぞー」
ものすごくいい笑顔で沙紀さんが出ていった後も、しばらく何も話せなかった。
先輩と沙紀さんが、付き合ってない?
それだけがぐるぐると頭を回って、ろくに考えられない。
固まったままの私の肩に、ひんやりとした手が触れた。
考えるまでもない、幸村先輩だ。
弾かれるように上を向くと、妙に嬉しそうな先輩の顔があった。
「丸井さん、いくつか約束してほしいことがあるんだけど」
「約束?」
遠くでお兄ちゃんが「ギャアァァァアァァァァ!!」とか叫んでる声が聞こえたけど、今はそんなことに構ってる暇はない。
久しぶりに見る先輩の柔らかい表情に、もう頭がパンク寸前だ。
「ひとつ、これからは以前みたいに接してくれること」
「はい」
優しい声が気持ちよくて、うっとりと聞き惚れる。
いつぶりだろう、こんな風に話してもらえるの。
「ひとつ、家庭教師は俺に戻すこと。柳にも平行して、なんていうのは禁止だからね」
「はい」
ぽん、と頭に大きな手が乗る。
そのままゆっくりとなでられて、思わず目を細めた。
「ひとつ、お互い名前で呼ぶこと」
「はい」
その手がするりと頬に降りてきて、心臓がばくばくうるさく鳴る。
ちょっと、手、元に戻してください……!
「ひとつ、俺の彼女になること」
「はい はい?」
先輩の話なんて正直途中からほとんど聞こえてなかったけど、今とんでもないことを言われた気がする。
「破ったらおしおきだからね」
「ちょ、ちょちょちょっと待ってください、せんぱ」
「はい、1回」
「え!?何で!?」
「名前で呼ぶって言ったじゃないか」
にこにこと笑う先輩にそう言われ、そんな約束されたか!?と必死に思い出す。
……そういえば、そんなことも言われた気がする……。
「あ、あの、前の2つはともかく、後半2つは意味が理解できないんですけど 」
「え?そのままの意味だけど」
「いや、だからそれが 」
「俺はね」
整った顔でそれはそれは綺麗に微笑まれ、言いかけた言葉が押し込まれていく。
そんな私の目を見て、先輩はそれはそれは晴れやかな笑顔を浮かべた。
「遠慮するほど馬鹿をみるって学んだんだ」
だから遠慮しないよと言い切られて、どこかに逃げ場がないかと必死に考える。
ええと、おかしいぞ、こんなはずじゃ 。
「何を考えてるんだい?」
「ひゃ !」
耳元でささやかれて、色気たっぷりの声と吐息が耳を直撃した。
反射的に首をすくめると、頬に添えられた手でがっちりとつかまえられた。
「 嫌?」
「そ、んな 」
「じゃあ、いいね」
笑顔に勝てずにうなずいてしまった私は、けして悪くはないだろう。
そうだろう。
「え、あ、あの 」
「やっとつかまえた、」
とろけるように微笑まれて、軽く上を向かされる。
そんな先輩は私よりも何百倍も綺麗で、並ぶのを嫌がる女の人たちの気持ちがわかる気がした。
「そうだ、さっきのおしおきをしなくちゃ」
ね?と間近で微笑まれ、思考が飛んだ瞬間に口を塞がれる。
「んっ !」
なだめるように背中をなでられて、それでも離してくれなくて。
とんでもない人を好きになっちゃったんじゃないかという考えが、ちらりと頭をよぎった。
「、早くしろぃ!」
「お兄ちゃ……速すぎ!!」
真新しい制服に包まれて、はしゃぎすぎなお兄ちゃんを必死に追いかける。
テニスをやってるお兄ちゃんと文化部の私じゃ、根本的な運動神経が全然違うんだってば!
いい加減、そのことに気づいてほしい。
「、お母さんは後から行くから」
「わかった!」
玄関からお母さんに言われて、振り向きながら大声で返した。
後はもう、お兄ちゃんに置いていかれないように一目散。
ちょっぴり死にそうになりながらたどり着いた校門では、優しい笑顔が待っていた。
「入学おめでとう、可愛い切り込み隊長」
「ありがとうございます!でも、その呼び方はもう勘弁してくださいよう……」
騎馬戦では見事に勝利を収めたけれど、まさかあれを先輩に見られてたとは思わなかった……!
よっぽど情けない顔をしていたのか、先輩がくすくすと小さく笑う。
「格好よかったよ、。 ようやく一緒にいられるね」
やってられないとばかりにさっさと行ってしまったお兄ちゃんをバックに、先輩の手がふわりと頬に触れた。
小説みたいにクサいセリフでも、先輩ならぴったりはまっちゃうから不思議。
惚れた弱みなんだろうか、これ。
「これからもよろしく、」
「はい……精市先輩」
「先輩はなし」
「だって ん……!」
だからだからだから、格好いいのはもう十分わかってるから、ところ構わずキスするのはやめてくださいってば!
本当にとんでもない人を好きになりました、私。
……幸せだから、もういいけれど。
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