それは、あの日のように雨がしとしとと降る夕方だった。
コインランドリーで乾かしてきた洗濯物を畳みながら夕飯の支度をしていると、不意にチャイムが鳴った。


「はーい、ちょっと待ってくださーい」


聞こえないとわかっていながらもそう答えて、隣でちまちまとタオルを畳んでくれていたユウを見下ろす。


「ユウ、ちょっとやっておいてくれる?」
「わかった」


こくりとうなずいたユウの頭をなでて玄関に向かって。
ドアを開けた瞬間、固まってしまった。




「…………」




濡れた傘を手に、思い詰めた表情で立っていた、そいつを見つけたから。


目を見開いたまま数秒固まって、我に返ると同時に勢いよくドアを引く。
けれどドアが閉まる前に、閉じないようにしっかりとつかまれてしまった。


、ごめん、話したいことがあるんだ」
「帰って。もう関係ないはずでしょ」


目を合わせたくなくて、斜め下を見ながら呟く。
思ったよりも固い声が出て、自分でも驚いた。
ぐいぐいと力一杯ドアを引くけれど、悔しいかな力ではかなわない。

完全に玄関の中に入りこまれてしまって、唇を噛んだ。


「何の用……桂介」


あなたとはもう、終わったはず。
あの雨の日に、あなたから切り出したはず。


もう1年以上前の話だけれど、くっきりと思い出せる。


「……やり直したいんだ。やっぱり俺、お前が好きだ」


絞り出すようにそう言われ、悔しさでじわりと涙がにじんだ。

その一言、あの時に言ってくれればどれだけ嬉しかっただろう。
今となってはもう、ずるい言い訳にしか聞こえない。


「私達、もうそういうのはないよ。大体、彼女はどうしたの」
「あいつは   駄目だった。やっぱり、俺を一番わかってくれるのは、だよ」


   やめて。
そんな最低男のような言葉、聞きたくない。


「やめて!」
   !?」


悲鳴に近い声をあげると、奥にいたユウが反応した。
ばたばたと足音がして、きっちりと耳元をバンダナで隠したユウが飛び出してくる。
一瞬でその場の妙な緊張感を察したらしいユウが、凶悪な顔で桂介を睨みつけた。


「だれだ、おまえ」
、この子は   ?」
「だれだ!」


桂介の言葉を遮るようにして、ユウが大きな声を出す。
全身の毛を逆立てるようにありありと警戒して、私の前に一歩踏み出した。


「ユウ」
、いやがってるだろ」
   ユウ」
「でてけ!!」


叫ぶ小さな体を抱き上げて、頭に頬を寄せる。
ありがとう、もういいよ。


、一体   っ!」
「きやすくよぶな!!でてけ!!」


桂介の伸ばした手を、ユウががりりと引っかいた。
慌てて引っ込めたその甲に、じわりと赤い線がにじむ。


「……今、この子と一緒に住んでるの。離れるつもりはないし、あんたとやり直すつもりもこれっぽっちもない」


だから、もうこないで。


きっぱりと言い切って、後はもう構わずに踵を返した。
しばらくしてドアの閉まる音を聞いてから、ユウを抱き締めていた腕をゆるめる。


「……ありがとね、ユウ。守ってくれて」
   べつに、まもったわけじゃないからな!あいつがいやなやつだっただけだ!」
「うん、ありがと」
「ちがうばか!!」


べし、と手の甲をはたかれて、血のにじまないそれにまた頬がゆるんだ。
桂介を手酷く引っかいたこの爪は、私を傷つけはしないのだ。


だらしなくゆるんだ顔でつやつやの頭をなでていたら、ふてくされていたユウが不意に小さく声をあげた。


   、あれ、だれだ?」
「……元彼。わかる?」
「しゅみわるいな、


わかったらしい。
ばっさり切られてしまった。


「うん、自分でもそう思う」


私も苦笑してため息をつく。
目を閉じれば、瞼の裏にあいつとの思い出が浮かんできた。


「高校の頃からの付き合いでね、結構長かったんだよ」


文化祭も一緒に盛り上がった。
受験も一緒に頑張った。
大学に入って一人暮らしを始めて、門限を気にしないで遊べる楽しさを知った。


けれど。


「入学して半年くらいかな?だんだんメールとか電話とかが減っていって、おかしいなあとは思ってたんだけどね」


   浮気、されたのだ。


結局あいつはもう1人を選んで、私達は終わりになった。
それが1年以上前、ユウと出会うすぐ前の話。


「だからあの時、ユウと会えてすごく嬉しかったんだよ。身代わりってわけじゃなかったけど、急に1人になって、やっぱりすごく寂しかったから」
「……ばか」


微笑んでユウの手を握ると、腕をたしっと叩かれた。


「むりしてわらうな、ばか」
「無理してなんか   
「て。ふるえてる」


ぎゅうと両手で握り返されて、ようやく自分の手が細かく震えていることに気づく。
吹っ切ったつもりでいても、大丈夫だと思っていても、そうじゃなかったのか。


「……情けないなあ……」
「ばか、なけばいいだろ!」
「……口達者になっちゃって」


憎まれ口を叩きながら、にじんだ涙を乱暴にぬぐう。
何度か鼻をすすっていたら、背伸びをして精一杯伸ばされた小さな手のひらが、目元を懸命にぬぐってくれた。


「ありがとね、ユウ」
「……おれがいるだろ」
「うん。寂しくないよ」
「あたりまえだ!」
「うん」
「おれ、あんなやつとはちがうからな!」
「うん。一緒にいてくれるんだよね」
   しらない!」


うわあ、真っ赤。
格好いいとか思ったけど、やっぱり可愛いなあ、もう!