涙涙の卒業式も終わって、慌ただしく引っ越しをして、迎えた4月。
たったの数週間で、嫌というほど実感してしまった。
「……どうしてそんなに家事ができるのー!!」
大学やバイト先から帰れば、ぴかぴかの部屋においしい料理が待っている。
そして、まぶしいばかりの笑顔のジーンのお出迎え。
何なんだ、この屈辱感……!
「え?だって、が帰ってきた時に、少しでもゆっくりしてもらいたいじゃない」
「ありがとう、それはありがとう……!でもね……!!」
確かに、疲れて帰ってきた時に、こうやってジーンにこういう状態で迎えてもらえるのはは嬉しい。
嬉しいけど、これって女としてどうなの……!?
頭を抱えて苦悩したい気分になっていると、不意にジーンに腕を取られた。
「。また、火傷してる」
「ああ……うん、しょうがないよ。慣れてないんだもん」
正直、飲食店のキッチンがあんなにきついなんて、思いもしなかった。
次から次へと来る注文に、これなら多少接客が苦手でもホールに入った方がよかったんじゃないかと思ってしまう。
しかも油がよく跳ねて、腕やら手やらを火傷してばかりだ。
その度にこうやってジーンに心配されるけれど、慣れれば大丈夫だと先輩達には言われている。
「は女の子なんだから、こういうのには気をつけなくちゃ」
「うん、でもね、そんなこと言ってられないくらい忙しいんだよ」
「……どうしても、そこじゃなきゃ駄目なの?」
心配そうに、本当に心配そうにそう言われて、心がぐらりと揺らぐ。
東京の時給は私の地元とは比較にならないほど高くて、思わず何も考えずに申し込んだバイト先。
ようやく慣れてきたところだけれど、ここじゃなきゃいけないのかと訊かれると言葉に詰まってしまう。
「べ、つに……ここじゃなきゃってわけじゃないけど……」
「だったら、僕がもっといいバイト先を紹介するよ。僕のなら、も安心だろう?」
真剣な表情でそういうジーンからは、本当に心配してくれていることがよくわかる。
わかるから、ついうなずいてしまった。
喜々とした表情になったジーンが、どこに電話をかけるのかを悟るまでは。
「 あ、ナル?事務バイト、一人いらない?」
弟君の職場ですか……!!
そんな、幽霊がばんばんでちゃうようなところですか!
ランディさんの一件がトラウマっぽくなっている私に、そんなところに行けと!!
泣きたくなりながら混乱している間に、ジーンはさっさと話をつけて、「Bye!」と軽やかに電話を切ってしまった。
「よかったね、!今度の火曜から来てくれだって」
「……やだー!!」
「え?何で?」
ジーンが心底不思議そうに首を傾げるけれど、それこそ不思議だ。
ランディさんのお話に付き合った後の私の疲労困憊ぶり、ジーンが一番心配していたんだから。
それなのにどうして、そんな職場を紹介するんだろうか。
涙目になりながら嫌だ嫌だと繰り返していると、さすがのジーンも慌てたような表情になった。
「?どうしたの、」
「幽霊が出る職場なんて、嫌あ……!!」
ラップ現象が日常茶飯事な職場。
すぐに冷気が充満する職場。
そんな職場、絶対に嫌だ。
考えているうちに本当に涙が出てきて、ジーンが余計に慌てる気配がした。
ハンカチで優しく目許を拭ってくれながら、必死に大丈夫だと繰り返す。
「SPRは特殊なところだったから!あそこはみんな、好き勝手研究するための施設だから、資料のテープも映像もいっぱいあったけど、ナルのところはそんなことないよ?」
「だって、弟君の専門って、霊障の研究なんでしょ?だったら、そんな資料が山ほどあってもおかしくないじゃない」
「普通のオフィスだよ、。じゃなきゃ、渋谷の道玄坂なんてところに事務所があるわけないじゃないか」
渋谷?道玄坂?
それって、若者の集まる、ちょっとおしゃれな場所じゃなかったっけ?
こちらに来てまだ日が浅いから、大学とこの部屋の周辺しかよく知らないけれど、そんなイメージがとても強い。
「渋谷なら、の大学からも近いだろ?基本的に事務をしてればいいし、始めのうちは電話も取るなって言われるだろうから、今のところよりもずっと楽なはずだよ」
……そう言われてみると、確かにそうだ。
弟君やリンさんだけだったら、イギリスにいた時にずいぶんお世話になったから、緊張することもない。
それに正直、火傷は痛くて嫌だった。
「……他に、バイトの人はいるの?」
「前までは麻衣の他にもう1人いたけど、今は事務中心でやってるのは麻衣だけだって。別の子が学校の関係で、ちょうどこの間抜けて困ってたんだってさ」
「麻衣ちゃん、いるの!?」
そういえば、初めて会った時も「うちのボスが」とか言ってた気がする。
ちゃんとした社員なのかと思っていたけれど、麻衣ちゃんもバイトだったのか。
それがわかったら、一気に行きたくなってきた。
あの時、怖くて動けなかった私を助けてくれたのは、麻衣ちゃんだった。
弟君の彼女かと思っていたけれど、それとは違って、彼に片思いをしてる女の子。
一体彼のどこに惚れたのか、いっぱい話してみたい。
元気いっぱいだった彼女を思い出して、思わず顔がほころんだ。
「じゃあ、今度の火曜、一緒に行こうね。案内するよ」
「 うん」
悔しいけれど、今回もジーンに甘えよう。
今のバイト先には、明後日のシフトの時に辞めることを伝えよう。
ジーンはいつも、私のためになることを見つけてくれる。
私よりも私のことをよくわかってくれているようなジーンの行動に、思わず苦笑がもれた。
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