「氾仙様!こちらで点心を召し上がりません?」
「ずるいわよ!今日は私とお出かけしてくださいますわよね?」
「氾仙様、ハンケチに刺繍をしましたの。お使いいただけます?」
「氾仙様、クッキィを焼きました!是非召し上がっていただきたくて……」
惇明が中華街を歩いていくと、若い娘達から次から次へと声をかけられる。
その一つ一つに丁寧に答える惇明に、隼雷が呆れたような視線を向けた。
「お前……よくそれだけの名前覚えられるな」
「おや、当然でしょう?名前を覚えるのは、人間関係の基本ですよ」
「そりゃそうだけどよ……」
この中華街に何人娘がいると思っているのか、この男は。
妙な記憶力に内心舌を巻きながら、また新たに贈り物を受け取った惇明にため息をつく。
「ったく……どうして今日に限って……」
実家に出向くというのに、こうも大荷物では格好がつかない。
わかっているのだろうかと白い目で見ても、惇明は逆に朗らかに笑うばかりだ。
隼雷が何を気にしているのかはわかっているが、惇明にとっては「そんな何でもないこと」に入ってしまうらしい。
「大丈夫ですよ、隼雷。どうせ笑われて終わりますから」
「……ああそうだな、お前の家族はそんな奴らだったな」
特に母君なんか、愛息子の人気ぶりに顔をほころばせるに違いない。
誰一人として惇明を馬鹿にしないところが、ある意味この家族の問題点だと思う。
確かに、贈り物をされるということは人気の高さの証にもなるだろう。
だがしかし、時と場所を選ばずにほいほい受けとるのは、大商家氾家の息子としていかがなものか。
誰かこいつをなんとかしてくれと頭を抱えたくなった時、横から呆れまくった声が投げかけられた。
「何をしているんですか、氾仙」
「おや、娘娘じゃありませんか。珍しいですね、こんなところで会うなんて」
「当たり前です。あなたが出没しそうな場所を選んだんですから」
普段の娘娘からは予想もつかない答えに、隼雷が目を瞬かせる。
黒いクロークをびしりと着こなした娘娘は、風に乱される前髪を鬱陶しそうにかきあげた。
芳桂様、とはしゃいだ声をあげる娘達におざなりな返事をしつつ、懐から取り出した小箱を惇明に渡す。
というよりも、押しつける。
それを見て嬉しそうに顔をほころばせた惇明とは正反対に、隼雷はますます驚いて娘娘を見つめてしまった。
この男が惇明に気遣いを見せるなど、一体どんな青天の霹靂だろうか。
明日は槍でも降るのではあるまいか。
本人に知られたら輝かんばかりの笑顔でしばき倒されることを考えていたら、惇明が嬉しそうに口を開いた。
「すみませんねえ、娘娘。あなたから誕生日プレゼントをもらえるとわかっていたら、おとなしく家で待っていたのに」
「…………は?誕生日?」
そういえば、今日の朝食はいつもよりも豪勢だった気がする。
今日に限って色々な贈り物を受け取るし、話しかけられるし。
実はちょっぴりいらっとしていた隼雷だったが、まさか惇明の誕生日だとは思いもしなかった。
「氾仙、護衛が死ぬほど驚いて固まっていますよ。まさかとは思いますが、あなた今まで教えていなかったんですか?」
「そのようですねえ。ここ数年、この日は実家から迎えが来ていましたし」
実家から迎えがくる時は、隼雷はついて行かないのが習慣だ。
それすなわち、氾家で何が行われているかを知らないということで。
そういえば何かいつもよりも手土産が多い日があった気がするなー、くらいの認識である。
わざわざ祝おうという心意気はこれっぽっちも持ってはいないが、綺麗さっぱり忘れていたことが隼雷にはショックだった。
「ふふふ、やっぱり祝ってもらうというのは嬉しいことですねえ」
街の娘たちのささやかな贈り物を胸に、惇明がほっこりと笑う。
贈り物を要求されているわけではないとわかってはいるが、だがしかし。
隼雷がぐるぐると考えている間に、惇明は娘娘に満面の笑顔を向けていた。
「ありがとうございます、娘娘。あなたの誕生日には、お返しにダンベルセットを贈ってあげますよ」
「いりませんよそんな怪しげな名前のもの。大体何ですか、ダンベルって」
「筋肉むきむきになるために使う重りですよ」
それとも綺麗な髪飾りの方がいいですか?と訊かれ、娘娘の中で何かがぷつりと切れた。
彼の顔色からさすがにまずいと思ったのか、惇明から血の気が引く。
からかうならそれなりの覚悟をしなければならない青年なのだ、娘娘という男は。
「氾仙……是非そのダンベルとやらをいただきたいものですね」
「に……娘娘、顔が怖いですよ顔が」
「それで鍛えて、せいぜい逃げようとする氾仙をつかまえなければなりませんからねえ?」
目だけが笑っていない笑顔で小首を傾げた娘娘に、惇明はもう逃げ出したくなった。
無言の圧力で足を縫い止められている惇明を哀れに思ったのか呆れたのか、はたまた単に時間に遅れそうだったからか。
隼雷がため息を一つついて、冷や汗を流している惇明に声をかける。
「もうそろそろ、本気で時間がまずいんじゃないか?母親を待たせると父親がうるさいだろ」
「そうですねそうでしたね隼雷、というわけで娘娘もごきげんよう」
ナイスタイミングの助け船に力一杯うなずいて、惇明はチャンスを逃がさずさっさと逃げ出した。
後ろで娘娘が舌打ちをした気がするが、そんなものは気のせい気のせい。
え?何、聞こえなーい!
「ただいま参りました」
「惇明、お誕生日おめでとう」
家族に盛大に祝われながら、もう娘娘はからかうまいとこっそり決意する惇明だった。
その決意がどこまで続くかはわからないけれど。
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