依頼を受けた惇明がまずしたことといえば、依頼者から詳しい家系譜と既往病を聞くことだった。
訝しげな依頼人から家系図を受け取り、詳細な病歴をざっと見た惇明は、ふむとうなずく。


「ずっと昔、狐憑きや狗神憑きと言われたことはありませんか?」


言われた瞬間、男はぎくりと小さく反応した。
それが正解だと何よりも雄弁に語っていて、やれやれと惇明は内心肩をすくめた。

獣憑きなど、そのほとんどが紛い物にすぎない。
彼の妻も、病状を聞く限りではそのほとんどに含まれるだろう。


「不意に攻撃的になる、かと思えば死にたいと泣く、かと思えばわけのわからないことを呟き続ける」


これは俗に言う、あれではないだろうか。




「治るでしょう、奥さん」
   本当ですか!?」




あっさりさらりと告げた惇明に、依頼人が信じられないと言いたげに飛び上がる。
そんな彼に微笑みつつ、惇明は人差し指を一本立てた。


「ただし、薬が手に入ればの話ですがね。知り合いの貿易商に掛け合ってみましょう」
「……っ、ありがとうございます!ありがとうございます、氾仙様!!」


床に頭をこすりつけんばかりに礼を言って帰っていった依頼人を見送って、惇明ははらりと扇を開く。
その影で小さくため息をついた彼に、隼雷が片目をすがめていいのか、と口を開いた。


「何がですか?」
「あの依頼。そんなにほいほい解決できるもんじゃねえだろ」
「できちゃうんですよねえ、それが」


ただ問題は、その薬を作る技術が存在するかどうかということで。


「あのねえ隼雷、あの人の奥さんは単なる病気の可能性が高いんですよ。心の風邪を引いちゃった、みたいな感じですね」
「はあ?」
「ものの喩えですよ、ものの喩え。   さて、郭。黎深の家に遣いを出してくださいな」












「どうしてお前がここにいる!」
「駄目ですよ、黎深。家に帰ってきた時にはちゃんとただいまを言わないと」


噛みつかんばかりに咆えた黎深も何のその、惇明はゆったりと椅子に腰掛けたまま笑う。


「そんなことはどうでもいい、誰がこんな奴をここまで入れたんだ!」
「家人の皆さんが快く案内してくださいましたよ。ほら、このフルーツも」
「私は許可した覚えはない!」
「嫌ですねえ。そんなに照れなくたって、黎深が私を好きだってことはちゃんとわかってますよ」


広げた扇の裏で、惇明は実に楽しそうに笑う。


ああ、なんておちょくり甲斐のある人なんでしょう。
つつけばつつくだけ反応してくれるなんて、今時めったにいない人材ですよねえ。


かなり間違った愛情の注ぎ方だが、惇明としては黎深が可愛くて可愛くて仕方がない。
相手が自分よりも明らかに格上であろうと、立場がどうであろうと、そんなものはお構いなし。


「本当に、黎深は可愛いですねえ」
「お前に言われても嬉しくも何ともない!むしろ気持ち悪いからやめろ!」


   何を騒いでいる、黎深」


きゃんきゃんと子犬のように吠える(惇明視点)黎深を止めたのは、涼やかで冷ややかな声だった。
妙ちきりんな仮面を被った旧知の友に、黎深がますます嫌そうに顔を顰める。


「お前まで、どうして私の許可もなしにここまで通すんだ」
「お前を止めてくれと、百合姫から頼まれた」
「百合か!あいつめ、いつも余計なことを   
「その余計な事の中には、もちろん貴方が本来やるべき当主の執務も含まれているんですよね?」


鳳珠の言葉に歯噛みをした黎深に、またまた惇明が火に油を注ぐような発言をした。
これではいつまで経っても埒が明かないと思った鳳珠は、ひとまず惇明の対応をしようと決めたらしい。

仮面を外して素顔をさらした鳳珠は、えも言われぬ美声で惇明に挨拶をする。
それに全く動じずに挨拶を返した惇明も、ようやく黎深で遊ぶのはやめたようだ。
微笑は崩さないままに、ふとその雰囲気を変えた。


   さて、黎深。貴方に仕入れを頼みたいものがあるんですよ」


それを聞いて、黎深もようやく「紅家当主」の表情になる。
華僑二強とも言われる大商家の当主として、その依頼が引き受けるに値するものかを判断するために。


   何だ?」
「この時代では、まだ開発されていないかもしれないものですが。西洋で現在流通している、精神病の治療薬を調べてほしいんですよ。もしも見つかったなら、完治に適する量の輸入を」


正直に言うと、惇明は今回の依頼の原因を何となく把握はできたものの、そちらの方面に詳しいわけではない。
うつ病あるいはパニック障害を含む不安障害ではなかろうかと予想できる程度だ。

患者の病状を事細かに伝え、後は探してくれと黎深に丸投げ。
少なくとも黎深のこと、意地でも何かは見つけてくるだろう。


そんな楽観的な観測の元、惇明はその報酬をぴらりと一瞬だけ黎深に見せた。


「私の納得のいく物を仕入れてもらえたら、この秘蔵秀麗ポトガラフィーをあげますよ」
「それは   よこせ、今すぐよこせ!」
「駄目ですよ、依頼に対する報酬なんですから。ほらほら、がぜんやる気が出てきたでしょう?」


完全に惇明のペースにはまっているとも気づかずに、黎深はものすごくやる気満々だ。
満足そうにそれを見やる惇明に、鳳珠が一言。


「いつもながら、お見事ですね」
「黎深は本当に単純で簡単ですからねえ。そこがまた可愛いんですが」


あっさりさらりと酷い事を言った惇明は、苦笑している鳳珠に視線を向けて微笑んだ。


   貴方も、仮面なんかで隠すより、そちらの方がずっといいですよ」
「……そう言う貴方の方が珍しいのですよ、惇明殿」


困ったように返した鳳珠は、しかしほんの少しだけ嬉しそうだった。