次に連絡がきたのは、意外にもアキラ君からだった。
曰く、父が一時帰国するから、その時に打ってくれないかとのこと。

一時帰国って……本当に忙しい人なんだ、アキラ君のお父さんは。
詳しい日程も書いてあって、夕方からならほぼどの日でも大丈夫だと書き添えてあった。


「ええと……この日はバイトだし、この日とこの日は授業が5コマ目まで入ってるし……」


どうしよう、夕方というか夜に近い時間帯しか空いていない。
さすがに6時近くにお邪魔するのは申し訳ないだろう。

その旨を書き添えてネット碁ではどうかと逆提案してみたけれど、返事は「父が直接打ちたいと言っている」だった。
どうやら、たくさんの観戦者がいる場では打ちたくないらしい。


佐為は何となくその気持ちがわかると言うし、ならば行くしかないじゃないか。


『18時近くになるけど、それでもいい?』
『構いません。では、木曜の午後5時半に、渋谷のモアイ像前で』


モアイ像前ときたか。
ハチ公前じゃなくて、モアイ像前。

確かにあっちの方が人込みは少ないはずだけれど、どうにも渋いチョイスに思えてしまう。
いや、渋谷自体がアキラ君のイメージとは違うんだけれど。

思わずメールに向かって突っ込みながら、了承のメールを返す。


「どんな人?塔矢行洋さんって」
「会えばわかりますよ。私の知る限り、神の一手にもっとも近い男です」
「……そんなすごい人と打つわけ、私……」


ものすごく厳格な人のような気がしてきた。
正座は元々そんなに苦にはならないけれど、何時間もやられたらどうしよう。
プレッシャーと足のしびれに勝てる気がしなくなってきた。


「大丈夫ですよ。私が示す先に、石を置いてくだされば」
「うん、わかってるけど……」


大丈夫だろうか、私。












そして当日、駅の階段を降りてモアイ像の前に行くと、すでにアキラ君が待っていた。


「ごめんなさい、待たせたよね」
「いえ、僕が早く来すぎただけですから」


にこやかに、軽やかに。

さりげないフォローをいれてくれたとわからないくらい、耄碌はしていない。
約束の時間を少しオーバーしていたから、申し訳なさは倍増だ。


「それより、無理をいってすみません。夕食はうちで食べていってください」
「そんな、そこまでしてもらうわけには」
「母もそのつもりで、いきいきと準備していますから。遠慮しないでください」


アキラ君によると、今日はこの対局のために、門下生は誰もこないことになっているらしい。
安心して打ってほしいと言われて、少しだけ肩の荷が軽くなる。


「でも、お父さんへの説明、大変じゃなかった?普通信じないでしょ、佐為が幽霊だなんて」
「いえ、それが……」


からかうつもりで訊いたら、アキラ君が困ったように苦笑した。


「割とあっさり、『そうか』で終わっちゃったんです。元々、saiが幽霊だったってわかっていたみたいに」
「……変わったお父さんだね」


何だろう、実はお茶目な人だったりするんだろうか。
厳格だとばかり思っていたけれど、その像ががらがらと音を立てて壊れていく。
本当に、一体どんな人なんだか。


山手線から電車を乗り継いで20分あまり、案内されたのはとてつもなく大きな純和風の家だった。
……よかった、一応きちんとした服着てきて。


「ただいま」
「お邪魔します」


がらりとドアを開けて入っていくアキラ君に続いて挨拶をすると、奥の方から軽やかな足音が近づいてきた。
品の良さそうな小柄な女の人が、にこにこと笑いながら出迎える。
きっとこの人が、アキラ君のお母さんなんだろう。


「初めまして、と申します。お邪魔します」
「アキラの母です。今日はわざわざありがとうございます」


まるで私が彼の父親と一局打つことを知っているような口振りに、思わず小声でアキラ君に確認してしまった。


「……お母さんには、言ってないんだよね?」
「はい、僕からは……言うとしたら、父がうまいことごまかしたんだと思います」


最近のお父さんは才能のある子の発掘にとても熱心だそうで、私もその一人と思われているかもしれないとのこと。
そんなに大それた人じゃないんだけどなあと思いつつ、アキラ君に案内されるままに広い廊下をひたすら歩く。

そして。


「お父さん、連れてきました」
   ああ、ありがとう。アキラ」


……親子の間でも敬語なのか。さすがだ。


想定外の会話に驚く間もなく、アキラ君が障子をさっと開ける。
そこにいた人の姿に、思わず声をあげそうになるほど驚いた。


(渋い……!!)


と、その前に。

ものすごく厳格そうだ。
佐為の幽霊説なんて信じそうにないほど厳格そうだ。


「あっ、!今何か失礼なこと考えたでしょう!!」


何だかうるさい佐為はひとまず無視して、さっきの会話でお茶目なおじさん像を描いていた私には、この外見は予想外だ。
すっかり固まってしまった私に、その人が静かに告げた。


「……どうした、入りなさい」
   はい」


思わずごくりと喉を鳴らして、おそるおそる碁盤の向かい側に座る。
会えばわかると言った佐為の言葉が、何となくわかる気がした。

この人の雰囲気は、一言で言い表せない。

あえて言うなら   すごい。
それくらいしか、表現できる言葉が見つからなかった。


上目遣いにそろりと見上げる私に、アキラ君のお父さんは小さく笑ったようだ。


「君が   さんか」
「あ   はい」
「そうか、君がsaiの……」


慌ててうなずいた私に、その人は噛みしめるように呟く。
その目はさっきとは違う、懐かしいものを見るそれだった。