あの日から時々、バイト先にアキラ君が来ることが多くなってきた。
もう周りも私のシフト上がりが目当てだとわかっているらしく、時間になると多少忙しくても「行ってあげなよ」的なムードで裏に帰されることが多い。
嬉しいんだか微妙なところだ。
多分、私達の関係、思いっきり誤解されてるし。
この日もアキラ君は一人でぼんやりとカプチーノを飲んでいて、片手には囲碁の本。
……本が囲碁じゃなければ、完全に文学青年なんだけどなあ。
少し惜しいと思いつつも、特別に声をかける訳でもなく私は私の仕事をこなす。
一度だけそのことで謝ったら、アキラ君の方が笑ってかぶりを振ったのだ。
「待ってるのは僕の勝手にしていることですから。さんは気にしないでください」
そう言われたからには、割り切って仕事をするしかない。
それでも時々、彼の方に目がいってしまうのは……まあ、ご愛嬌。
5回に1回くらいぱちりと視線が合って、小さく微笑みかけられて嬉しくなるのも……まあ、許してください。
だって、嬉しいんだもの!
その日もバイト仲間の協力で定時ぴったりに上がることができて、タイミングよくお会計を済ませたアキラ君とお店の外でかち合った。
「お疲れ様でした」
「お待たせしました」
笑顔でいつもの言葉を言うアキラ君にいつもの言葉を返し、顔を見合わせてどちらからともなく笑う。
「行きましょうか」
「うん」
そうして向かうのは、いつもアキラ君の家。
あの、アキラ君の知り合いの人達に会った日から、アキラ君は一切碁会所に行こうとはしなくなった。
それが何故かはわからないけれど、煙草の煙がきつい場所も多いところだ、私にとってもありがたいことに変わりはない。
毎回お邪魔するから、アキラ君のお母さんともすっかり顔なじみになってしまった。
「あら、こんにちは」
「こんにちは、今日もお邪魔します」
ぺこりと頭を下げると、ゆっくりしていってねと笑いかけられる。
きっと、数分後にはアキラ君の部屋に飲み物が2つ届けられるんだろう。
そんなことが簡単に想像できるぐらいには、この家に入り浸っていると言ってもいいぐらいだ。
そういえば最近は、ヒカル君とも全然打っていない。
今度連絡してみようと思っていると、アキラ君が首を傾げて覗きこんできた。
まっすぐな黒髪がさらりと揺れて、思わず一瞬目を奪われる。
「さん?どうしたんですか」
「ん、ああ、今度ヒカル君に連絡とってみようと思って……」
何の気なしにそう言ったら、アキラ君が心なしか不機嫌になったようだった。
そんなに佐為と打ちたいんだろうか。
いやしかし、佐為と打ちたいだけならば、連絡するだけで不機嫌になる理由がない。
一体どうしたんだろう。
途方にくれて小首を傾げてみせると、アキラ君ははっとしたように表情を元に戻した。
そのまま微笑んで「碁石並べ、しましょうか」と碁盤を取り出す。
そう、最近はもっぱら碁石並べが主流になっているのだ。
もちろん毎回佐為とも打つけれど、それは1度か2度か。
佐為はそれで満足そうだけれど、アキラ君は本当にそれでいいんだろうか。
そんなことに悩みながら碁石並べをしたら、いつも以上にぼろぼろの負け具合だった。
……これか!?
この負け具合が、アキラ君にはたまらないのか!?
いやまさか、そんな性悪じゃないだろうと思いつつも、何とか形勢をひっくり返そうと碁盤を睨みつけた。
「、そこは 」
「佐為は黙ってて。私が考えるから」
うずうずしている佐為をぴしゃりとはねのけて、どこかいい場所はないかと考える。
そんな時、ふと思いついたようなアキラ君の声がした。
「ねえ、さん。この勝負、勝った方が何でも一つお願いできるってしたらどうですか?」
「……それ、この状況見て言ってる?」
「もちろん」
僕ならここからでも勝てますから、と涼しい顔をするアキラ君。
ということは、どこかにいい場所があるはずだ。
さりげなくヒントをくれたアキラ君に挑戦的な笑顔を返して、大きくうなずいた。
結果。
「……アキラ君のうそつき……」
「勝てましたよ?僕なら。ほら、ここでさんがここに打てばよかったんですよ」
恨めしい目で見上げる私に、アキラ君が涼しい顔でとんとんと石を戻しては打ってみせる。
確かにその通りにすれば勝てるけれど……それはもう碁石並べじゃない、囲碁の世界だ。
私には無理、無理!
「勝ったら何でも一つ、お願いできるんですよね」
「ずるい!アキラ君ずるい!」
「さんだっていいって言ったじゃないですか」
「それはそうだけど !」
「、大人気ないですよ」
呆れた顔で佐為にぼそりと言われ、私、撃沈。
扇子で口元を隠しながらため息をついた佐為が、一つぐらいいいでしょうにと続ける。
確かに、良識のあるアキラ君なら、無茶なお願いはしないだろう。
ヒカル君なら喜々として、あれもこれもとおねだりされるかもしれないけれど。
そう考え直して気合いを入れて、正面で笑っているアキラ君を見返す。
「わかった。約束だもんね。 で、お願いって?」
一体どんなものがくるのかと構えていたら、返ってきたのは意外な言葉だった。
「……今度、一緒に水族館に行きませんか?」
「……水族館?」
あまりにも突拍子がなかったもので、思わず鸚鵡返しに訊き返す。
少し恥ずかしそうにうなずかれて、ようやく本当なのだと実感できた。
そんなことならと笑顔で承諾して、家をお邪魔してからはたと気がついた。
……これっていわゆる、デートですか?
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