インターネット碁があると聞いたのは、意外にも佐為自身からだった。
何でも、以前一緒にいたヒカルという子は、佐為にそれで打たせていたのだとか。
ネットなら私の家にもあるし、大学からもアクセスできる。
「じゃあ、それでやろっか。前はどんな名前でやってたの?」
「 s.a.i。saiです」
「何だ、意外とそのまんま」
軽く笑いながら佐為に教えられたサイトにアクセスすると、ものすごい人数がログインしていた。
碁ってこんなにメジャーな世界だったっけ?と軽く引きながら、私も「sai」でログインする。
途端に殺到した申し込みの人数に、再びドン引きした。
「……佐為、あなたもしかして、有名人?」
「……多分……」
「それを先に言ってよ!!」
ログインしてしまった以上、後には引けない。
ずらりと並ぶリストの中から適当な人 「Sam」を選択して、承諾ボタンを押した。
押しながら、横の佐為に話しかける。
「ねえ、どうやって操作するの?また私の中に入る?」
「いえ、今回は私が指し示すところをクリックしてください。その方が、の負担も軽いでしょう」
気遣わしげに言った佐為に、小さく苦笑した。
そう、どうやら憑依には、それ相応の私の体力を消耗するらしいのだ。
初めて碁を打ってもらったあの日、家に帰ったとほぼ同時にぶっ倒れた。
何かくらくらするとは思っていたけれど、まさか倒れるほど消耗しているとは夢にも思わず、佐為に心配されてしまう有様だ。
「 じゃあ、それで」
佐為が扇子の先で指し示すその場所に、間違わないように石を置いていく。
ただそれだけの(私にとっては)作業なのに、佐為の感情に影響されて、何だか楽しくなってしまった。
どこに打とうか、相手はどう出てくるのか。次の一手は、その次の一手は。
そんな思考回路までなんとなく伝わってきてしまうのだから、佐為はよほど楽しいに違いない。
楽しんでもらえてよかった。
この分なら、私も交通費をむやみやたらに消費しなくて済みそうだ。
やがて相手が投了の合図を出してきて、「あんたは本物のsaiか?」と英語で訊いてきた。
どうしようかと佐為を振り仰ぐと、無言でかぶりを振られる。
つまり、答えるなということか。
チャットボックスをシャットダウンして、次の対局者を適当に選んで。
時間の許す限りそれを続けていたら、うっかり明日提出のレポートを書く時間がなくなりそうになってしまった。
「ごめん佐為、また明日ね。空きコマあるから、その間にまたやろう」
「ええ、充分です。ありがとうございます、」
楽しそうに微笑む佐為は本当に綺麗で、夢でしか触れないのが残念なほどだ。
夢の中ではしっとりつやつやの髪も大きくて白い手もはっきり触れるというのに、現実の何と残酷なことか。
「 佐為に触れたらなあ」
「夢の中では触れ合っているじゃありませんか」
「何かその言い方、微妙にいやらしいからやめて。 触れたら、きっともっと楽しいのに」
無駄だと思いつつも佐為に手を伸ばし やっぱりするりとすり抜けた。
「……、虫でもいたのか?」
「げっ!あ、うん、羽虫がいた。どうしたのさ、お兄ちゃ ああ、お茶ね。ありがと、そこ置いといて」
妙なタイミングでドアが開いて、お兄ちゃんに変なところを見られた。
まさか会話までは聞かれていまいかとどっきどきものだけれど、どうやらその様子はないようだ。
ほっと安堵の息をつきながら、もう一度佐為に手を伸ばす。
「 夢の中で触れるなら、現実で触れてもいいじゃない」
触れろー触れろーと念じながらゆっくり手を伸ばすと 今度は何か柔らかいものに押し戻された。
人というにはあまりにも中途半端な、しぼみかけた風船のような感触。
それでも、そこにいるのは確かに佐為だけ。
「…………今の」
「…………触れました、ね」
「………………もう一回、やってみても?」
「 どうぞ」
それから何度か試した結果、どうやら言葉と思いの強さに比例して、佐為に触れることができるらしいことがわかった。
「何ていうか……平安時代だねえ、言霊って言うの?こういうの」
「さあ……私にもよくわかりません」
お互い途方に暮れた表情で顔を見合わせて ばたりと私がベッドに倒れこむ。
慌てる佐為に、憑衣の時のように疲れただけだから大丈夫だと手を振った。
言霊が気力と体力をがりがり削ってくれることだけはよくわかった。
でも、これで頑張れば佐為に触れることもわかったわけだし、まあ良しとしよう。
「あー……レポートぉ……」
必修科目だからって、毎週出さなくてもいいだろうに。
大体何だ、古典文学を読んでの感想とか、古文が苦手な私へのいじめか。
うめきながらだるだると本に手を伸ばすと、上から覗きこんだ佐為が「おや、珍しい。女性の日記とは」と呟いた。
今回の課題は、そう 『蜉蝣日記』。
そうだよ、佐為がいるじゃないか!
「佐為!お願い、これを口語訳して!!」
小声で必死に頼みこむと、佐為は非常に渋い顔をした。
どうやら、勉強は自分でやるべきという考えの持ち主のようだ。
そこを何とかと拝み倒して、結局はさっきまでのインターネット碁を取引材料に、渋々引き受けてもらうことができた。
気力だけで佐為が読み上げる文章の感想をA4に2枚分書き上げて、もう知るものかとプリントアウト。
「、まだお風呂に 」
「あー、その前に夕飯で起こされるから平気」
気遣わしげな佐為に間延びした口調で答えたのを最後に、意識がぷつりと途絶えた。
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