石を置くごとに、塔矢プロの表情が変わっていく。
どんどん色を失っていく。
「これは いや、まさか……けれど……」
小さく呟きながら、何かを確かめるように、彼は白い石を置く。
そう、それでいい。
佐為によれば、ここまでは例の対局を忠実に再現できているらしい。
この調子で、あの時の投了までいけばいい。
そして、私に疑問を抱けばいい。
何故あの対局を、寸分違わず再現できるのかと。
「。あと4手です」
(わかった。 次は?)
私と佐為の間で交わされる会話も少ない。
一つでも置き間違えればおしまいだというプレッシャーが、私を極度の緊張状態に押しやっていた。
「さあ 最後の一手です」
佐為の言葉と共に、扇子の先に碁石を置く。
どう出るかと塔矢プロの反応を窺っていたら、青を通り越して紙のような顔色になっていた。
「あなたは 何故、この対局を?」
「必要だと感じたからです」
「そうじゃない!どうしてあなたは、この一局を知っているんだ!あの場に子供は僕達以外にはいなかったはず!!まして、完璧に覚えるなんて !!」
突然大声をあげた塔矢プロに周囲が驚いているけれど、私はそれよりもほっとした。
よかった、きちんと食いついてくれた。
思わず頬がゆるむのを感じながら、手帳にメアドを書きこむ。
誰にでも読めるように、丁寧に。
それを破って、塔矢プロに手渡した。
「もし、あなたが、進藤ヒカルという方とお知り合いなら これを渡していただけませんか?そして、伝言を」
さあ、間違えないで。
「『私は再び 降り立った』と」
呆然としていた塔矢プロの口が、小さく動いた。
「進藤……?」
「ええ、ヒカルです。ちゃんと渡してくださいね!」
(佐為、あなたが言っても聞こえないよ……)
「でもでも、塔矢なら絶対にこのことをヒカルに問い詰めますよ!」
自信満々に言い切った佐為に苦笑して、まだ席を立てないでいる塔矢プロに深く一礼をして、逃げるようにその場を立ち去った。
もちろん、あの一局を片手でぐしゃぐしゃにすることも忘れずに。
あの一局は、塔矢プロにだけ伝わればいいものだ。
他の人に見られたら、何だか厄介なことになりそうな気がする。
どういうことだ、何故彼女がこの一局を知っている ?
それに、進藤に向けた意味深なメッセージの意味は?
アキラの頭の中は疑問で埋め尽くされていた。
時間外に対局を申し込んできた、同年代であろう女性。
ただのファンにしては様子がおかしく、一局だけと打っていくうちに、そのおかしさがくっきりと浮かび上がった。
進藤と打った時のあの一局、忘れられないあの一局、それを一寸違わずに再現してみせたのだ。
途中からまさかと思い、わざとあの時のままの棋譜を並べていった。
そして あの時と同じく、自分の投了。
「私は再び、降り立った……」
あの言葉は何を示すのだろうか。
まるで何かが戻ってきたような口振りは、彼女が進藤を知っているにしてはおかしいものだった。
第一、知り合いならば自分で連絡をとればいい話だ。
「先生?次の予定が 」
「え ああ、すみません。今行きます」
遠慮がちに促す囲碁協会の係員にうなずいて、アキラは足早に会場を出た。
ちょうどこの後は、進藤や伊角といった若手達が数名集まるイベントだ。
そこで訊けばいいだろうと思っていたのだが、話をしたヒカルの反応はアキラの予想を遥かに上回るものだった。
実際に対局を並べてみせ、机に両手を突いてアキラが真剣な目差しでヒカルを見る。
「 これはどういうことだ?進藤」
「そんな、馬鹿な !だって、あいつは……!!」
「それから、その人はこうも言っていた。お前に『私は再び、降り立った』と」
その言葉を聞いた瞬間、ヒカルの呼吸が目に見えて止まった。
目を大きく見開き、口元がわななく。
泣きそうな表情で微かに何かを呟いたヒカルは、はっとしたようにアキラにつかみかかった。
「そ、そいつの連絡先とか!何かないのか!?なあ、塔矢!!」
想像以上の反応に内心驚きつつも、アキラは内ポケットから先ほどの紙を取り出す。
ひったくるようにそれを受け取ったヒカルは、そこに書かれた文字を穴が開くほどじっと見つめた。
「…………」
名前と、携帯のメールアドレス。
たったそれだけが書かれたそれを何度も見返して、不意に携帯を取り出した。
「おい、進藤!もうすぐイベントが始まる 」
「ちょっとメール打つだけ!すぐ終わるよ」
イベントに支障が出るのではと注意した伊角にも口だけで返し、視線は真剣に紙と携帯を見比べている。
どうやら、先程の女性にメールを打っているようだ。
宛先だけは妙に慎重に打っていたヒカルは、本文をほんの数文字で終わらせて送信した。
あまりの短さに、かえって周囲が唖然としたほどだ。
「し、進藤……初対面の相手に、そんな短文メールでいいのか?」
「いいんだよ。向こうにはあれだけで通じる。通じなかったら、俺の勘違いだ」
思わず問いかけたアキラに、ヒカルは短く答えて携帯をポケットにしまう。
その潔さに更に唖然となる周囲に向けて、ヒカルは会場を示した。
「そろそろ時間だろ。行こうぜ」
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