嫌だ嫌だと思い続けても、時間は無情に流れていく。
何も考えないように淡々と仕事をこなしていたら、とうとう州城に行く日になってしまった。

いつもよりもぱりっとした、少し豪華な服に身を包んでも、私の気分は重くなるばかり。
一際大きなため息をついたところで、柴様から出立の声がかかった。


「漣、行きますよ」
   はい」


ああ、行きたくない。












州城は厳重な警備体制が引かれていて、それだけ茶家からの襲撃が多いのか、それとも女州牧だからという警戒からか。
どちらにせよ、今まで見たことのある州城とは少し違う雰囲気がした。

案内されるままに奥の間に入っていき、州城にしてはやや質素とも言えるような椅子を勧められる。
その人々の行動を柴様は逐一観察していて、やはり人の品定めをしているのだと感じた。


「柴彰様……私、やはり帰ってもよろしいでしょうか」
「今更何を言っているんですか、漣。貴女を何のために連れてきたのか、わからないはずがないでしょう?」


そうしてついに、対面の時。
恐らく何度か面識があるのだろう、悠々と立ち上がった柴様とは対照的に、私は即座に跪拝をする。
顔を見られずに済むなら、なるべくそうしたかった。


「あら?柴彰さん、こちらの女性は?」
「ああ……私も信頼している者でして。漣芳明と申します」
「芳……明……?」


柴様の言葉に答えるかのように響いた声に、思わずぴくりと反応してしまった。


この   声。

記憶のどこかに、微かに引っかかっている。
そしてここは、州城。

そんな中で、私の記憶に引っかかるような男性の声といえば、ほぼ一人しかいない。
意地でも顔を上げるものかと跪拝の角度を深くしたら、慌てたような女の子の声がした。
彼女が、紅秀麗。


「そんな!そんなに畏まらないでくださいな、私はまだ新人の州牧なんですから」
   いえ、そのようなこと。私ごときがお会いするのは、もったいなく存じます」


固い声で答えると、かつかつとやや早足の足音が迫ってきた。


やめて、やめて、こないで。
私が誰だか、気づかないで。
あなた達の運気に、私を巻きこまないで。


その願いも空しく、跪拝している腕をぐいと引かれる。
必然的につられて上がった上半身。
その先にいたのは   怒りに燃える、静蘭の目だった。


「やはり……貴女でしたか」
   奇遇ですね。お久しぶりです」


なるべく平然と、自然に見えるように。
けれど固くなる声まではごまかしきれなくて、横で柴様がすいと目を細めるのが見えた。
ああ、今、私をどう利用しようか算段をつけているんだろう。


「知り合いなの?静蘭」
   あの王位争いの時、毎日野菜を届けてくれていた人ですよ」
「ええ!?」


秀麗が目を見開いて私を見る。
何の計算もない、純粋な驚きの目でまじまじと見られ、居心地の悪さに目を伏せた。


「ほう……漣、貴女が噂の人でしたか」
   え?」


思わず柴様の方を振り向くと、「貴陽の方で、民草を救った少女がいるという噂は聞いていましたよ」と涼しい顔で言われた。


そんなところで噂になっていたのか、私……。

思わぬ噂に目を瞬かせていると、秀麗が目を輝かせて私の両手を握りしめた。


「ありがとう!ありがとう……!!あなたのおかげで、私達……!!」


途中から涙声になった秀麗に手布をそっと渡して、「私は自分のなすべきことをしただけです」と静かに答える。


だって本当に、あの時はあれが私の存在意義だったから。
秀麗にお礼を言われる筋合いなんて、本音を言うとこれっぽっちもないだろう。
かぶりを振る私の腕を、静蘭が痛いほどに握りしめた。


「何故、あの時貴陽から出たんですか!?あれはいわれのない中傷であって、貴女がそれに応じる必要はなかったはずだ   !!」
「けれど、応じなければならなかった。あの方の地位を考えると。あの方が危険だと判断されたなら、私はそれに従うだけ」


念のために両親にも縁を切ってもらいましたとさらりと告げると、静蘭の目がますますきついものになった。


「何故そこまで   !!」
「あの……静蘭?私、全然事情がわからないんだけれど、この人は貴陽を追い出されたの?」
「いいえ、私の読んだ手紙の内容では、彼女には全く罪はな   
「そうです。紅家当主に」


恐る恐る口を挟んだ秀麗に、私よりも先に静蘭が言い切ってしまう。
その内容に、秀麗は酷くショックを受けたようだった。


「当主様が   !?そんな酷い、どうして!?」
「そこはまあ、大人の事情というものがありまして……当主殿を責めないで差し上げてください、紅州牧」
「無理よ、そんなの!だって、あなたが何をしたっていうの!?」


彼女の美点は、過ちを見過ごさずに真っ直ぐ見据えるところ。
そして、それを正面から指摘する潔癖さと勇気を持っているところ。

けれどそれは、時としてとても迷惑になることもある。
今がまさに、その時だ。
私は別に、貴陽に戻ることを望んでいるわけではない。


「芳明さん、あなたには貴陽に戻っていただきます」
「そうよ!私からも、そんなに力はないかもしれないけれど、当主様に手紙を書くわ!!」


静蘭の冷たく静かに燃える目と、秀麗の熱く燃える目。
面白そうに事の成り行きを見守っていた柴様に小さくため息を一つついて、正面に向き直る。
呼吸を整えて、一言。


「今まで、お世話になりました。本日限りで全商連から抜けさせていただきます」
「ほう……?そうして貴女は、どうするつもりですか?」
「特段と、これといっては。今までの生活に戻るだけです」


そう、戻ろう。
旅を続ける日々に。
今度は、「普通」の生活を探すために。