「どうして   
「後をつけました。失礼だとはわかっていたのですが、どのようにして野菜を手に入れているのかが不思議だったので」


しれっと言い切った静蘭は、感嘆の面持ちで畑を見回した。


「素晴らしい畑ですね」
「それ以上近付かないでください」


一歩踏み出そうとした静蘭に、強い口調で制止をかける。


この場所は、私の領域。
ここまで彼らに踏み込まれたら、私はどこで生きればいいの   


怖かった。
物語に関与するのが、怖くてたまらなかった。

自分が「未来」の一部を知っていることが、怖くてたまらなかったのかもしれない。


訝しげに眉を顰めた静蘭に会釈をして、竿をかつぎ直す。


「畑の世話があるので……失礼します」


立ちつくす静蘭の横をすりぬけて、小川に続く道を歩き出す。
正確には、歩き出そうとした。
腕をがしりと静蘭につかまれなければ、そうできていたはずだった。


「どうして、ここでこんなことを?」
「必要だと思ったからです」
「素人がすぐにここまでのものを作れるとは思えない。一体、いつから?」
「……忘れました」


歩けるようになってからは、すぐに家の庭で土をいじっていた気もする。
今はもう、これが生活の一部になっているから、今更年月を数え直すことは無意味だ。


「それにしても、どうしてこんな場所で   
「ここでなければ、野菜は育ちません」


しつこい静蘭の問いをぶちりとぶった切るように、自然語調が強くなる。


「貴陽では、野菜が育つほど土が肥えていません。満ちあふれた人に踏み固められ、養分も不十分ですから」


何年も何年もかかって、ようやくこの場を見つけたのだ。
知ったような顔でものを言われるのは、いくら静蘭でも我慢ならなかった。
唯一の救いは、野菜の出荷量について文句を言われなかったことだろうか。


「……一人で?」
「生まれた家は商家ですから。私のわがままに、他の人を巻き込めないでしょう」


何とも微妙な顔になった静蘭に肩をすくめて、竿を一旦地面に下ろす。
家の裏にある、山の横肌に作った倉庫まで引き返すと、ひんやりしたその中から壷を1つ取り出した。


「どうぞ。これは、紅先生達とだけで召し上がってください」
「これは   ?」


受け取った静蘭が、蓋を開けて首を傾げる。
当たり前だろう、これは元々この国にはないものだ。

試行錯誤して私が再現した、糠漬け。


「米糠に野菜を漬けたものです。塩分を摂らないと、そのうち本当に倒れて動けなくなりますよ」


あなた方、他の誰よりも動き回っているでしょう?


そう付け加えて見上げると、静蘭ははっきりと刺されたような表情になった。


貴陽の貴族は、ほぼ確実に門戸を閉ざしている。
中には黄家のようなもの好きもいるようだけれど、民に食料を与えようとしないのが貴族だというのが、私の中での一般的な認識だ。


「動く人が動かなくなったら、この街は終わります」


屍がうずたかく積み上がる、死の都になる。
そして腐敗した遺体から伝染病が始まり、それこそ生き延びるのはほんの一握りになるだろう。

だから彼らは、倒れてはならない。
同じ理由で、私も。

食べすぎているわけではない、私だって常に空腹を抱えているのだ。


「紅先生も、ずいぶんとお痩せになりました。どうかご自愛くださいと」
「……貴女が自分で言えばいいでしょう」
「言っても聞いてくれませんから。私の身体の心配をなさるばかりで」


人伝てに頼んだ方が、まだ効果がありそうな気がする。
仕方のない人だとため息をつくと、静蘭が笑ったように空気が揺れた。


「ありがたく、旦那様とお嬢様と3人でいただきます」
「糠は毎日かき混ぜれば、1週間は保つと思います。漬けて美味しくなくなってきたら捨て時です」


壷を抱え直した静蘭にてきぱきと指示をして、よいせと竿を担ぎ直す。
日が高くなってきたけれど、急げば野菜が茹だることもなく水が撒けるだろう。

そう考えながら歩き出そうとしたら、肩から重さが消え去った。
重力に逆らうように浮いていったその先を視線で追うと、静蘭がにっこりと笑いながら竿を担いでいるのが目に入る。


「……返してください」
「手伝います。これのお礼です」


器用に片手だけで桶の竿を担いだ静蘭は、そう言うと有無を言わせず歩き出した。
まっすぐに小川に向かおうとする彼を慌てて止めて、これは諦めさせるのは無理だろうとため息をつく。


「……こっちです。近くに沢がありますから」


身軽についてくる彼を先導しながら、この身のこなしの軽さは何だと呆れたくなる。
王族とは、みんなこんなに身軽なものなのか。

   いや、静蘭だからこそなのだろうけれど。

両方の桶一杯に水を汲んでも、静蘭はよろめく気配さえ見せずに軽々と歩いていく。
重さなんて感じさせないようなその足取りが、少しうらやましかった。


「ありがとうございました。助かりました」
「いえ、こちらこそ。いつもありがとうございます」


笑って去って行った後ろ姿を少しの間見送って、意識を畑へと戻す。
   さあ、私のできることをやろう。