終わったよ、と先生に言われて、何のことなのかを理解するのに数秒かかった。
涙を浮かべた目で、先生が優しくうなずく。
「終わったんだ……芳明。全部終わった。新しい王がお立ちになったよ」
「……そうですか」
私も小さくうなずいて、けれどと内心で思う。
新王が即位したからといって、すぐに食料不足が解消されるわけではない。
しかもこの王、静蘭が帰ってくるのを待っているエセ王様だ。
迅速な政など、期待する方が馬鹿を見るだろう。
そう考えながら、表情を引き締めて先生を見上げる。
「落ち着くまではしばらく、今まで通り野菜をお届けしますね」
「……ありがとう」
答えた先生の表情が何とも言えない様子で歪んだのは、一体どうしてだろう。
「どうしてでしょう?」
「そうさねえ……それは芳明、あんたが自分で考えることだと思うよ」
もう一ヶ所に野菜を届けながら呟いたら、悲しそうに笑って頭をなでられた。
もうそんなことをしてもらうほどの年齢じゃないのだけれど、このすべすべの手でなでられるのは、特別なようでちょっとだけ嬉しい。
いつでも華やかなここは、けれど華やかさを保つために、今までかなりの無理をしていた。
それでも美しさを保とうとするこの人達に少しでも役に立てたらと、野菜を運び始めたのはいつからだっただろう。
この手の滑らかさが変わらずにいてくれたことが、実は一番嬉しいかもしれない。
「芳明、王位争いが終わったんだってね。知ってたかい?」
「はい。紅先生に教えていただきました。……もう少しだけ、今までみたいに野菜を運ばせてもらうつもりですけど」
そろりと申し出ると、「ありがたいよ」と綺麗に微笑まれた。
とろけるようなその微笑みを見るために、一体世の男性はいくら使っているのだろうか。
女に生まれてよかったと内心こっそり思いつつ、もう行かなければと一歩後ずさる。
「私もう、おいとまします。睡眠時間をいただいちゃってすみません」
しかも、こんな裏の勝手口まで。
「いいんだよ、いつでも遊びにおいで」
「そのうち、是非」
うなずいて一礼し、完全に踵を返す。
実はずっと、傾国の美女である胡蝶にここまでしてもらえるのなんて、紅一家ぐらいしかいないと思っていた。
私にまでこうしてくれるとは、胡蝶の器の大きさがうかがえる。
街にはまだ新王即位の噂は流れきっていないけれど、それでも何となく今までよりは明るい雰囲気がただよっていた。
こうして都は再生しているのかと感慨にふけるのと同時に、浮かれるのが早いのではないかと思う。
そうそう簡単に、この状況が変わるはずがないのだから。
明日収穫できそうな野菜をリストアップしながら、一月で改善されるだろうかと眉根を寄せる。
もうそろそろ、休耕させていた畑に次の種をまかなければいけない。
今度のものは比較的早く収穫できる枝豆だから、1月半ほどで食べ頃になってしまうのだ。
量を慎重に決めなければいけなかった。
そこまで考えて、ふと思う。
「……多ければ、適当に八百屋さんに持っていけばいいのか」
多少安くはなるだろうけれど、買い取ってはくれるはずだ。
久しぶりの現金収入だと小さく微笑んでいたら、横から小さく声があがった。
「 芳明さん」
聞き覚えのある声に振り向くと、静蘭が驚いたように立っている。
あれから何度か私の家に出没したけれど、こうして街で会うのは初めてだ。
私が街にいるのが、そんなに意外だったのだろうか。
「お久しぶりです、静蘭さん。お元気そうですね」
とりあえずセオリー通りの挨拶をしてみると、静蘭はぎこちなくうなずいた後にようやく笑顔を浮かべた。
「芳明さんも。 そういえば、新王が即位なさったそうですね。これでようやく、この飢饉も終わります」
「 そう、願います」
その言葉にうなずいて、けれど思わず小さく呟く。
静蘭には聞こえてしまっただろうか。
ひやりとしながら見上げると、案の定怪訝な顔をしていた。
聞こえてしまったらしい。
「何故、そのような言い方を?」
「……ごめんなさい、忘れてください」
不思議そうに首を傾げる静蘭。
けれど彼だって、本当はわかっているはずだ。
国政というものは、そうそう簡単に動かせないのだと。
それを全く見せない聡さに恐れを感じながら、小さくかぶりを振って一歩踏み出す。
これ以上話すつもりはないという意思表示を、静蘭は正しく受け取ってくれたようだった。
引き止められなかったのを幸いに早足で家に向かいながら、畑に堆肥をたっぷりとついでおこうと拳を握りしめる。
私の役目は、まだ尽きていなかった。
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