首を傾げて周りを見回せば、ハーデス様のみならず、全員が凍っていた。
……おかしいな、これは一応、学者の間で紛糾している学説のはずなんだけど……。
どうしたんだろうとハーデス様を見ていると、その綺麗な唇がふるりと震えた。
「そ……っ、そのようなこと、私がするはず……!!」
「ないですよね!?そうですよね、ああよかった……」
頬を染めて必死に反論するハーデス様は、やっぱり純情ボーイでした。
「ハーデス様は本当に、ペルセフォネー様を愛してらっしゃいますものね。ギリシア神話界きっての愛妻家!」
「……」
ちょっぴり嬉しげな(相変わらず無表情だけれど、雰囲気がちょっぴり柔らかくなった)ハーデス様に笑いかけていると、疲れ果てた声が割って入ってきた。
「……頼むから、それ以上何も言わないでくれ……」
「は?」
声のした方に顔を向けると、お兄さんがしおれたように柱に額をつけている。
その横では金ぴかの人が地面に突っ伏し、アイオロス様もお兄さんとは別の柱にもたれかかっていた。
「お……俺達の最大の敵が……!」
「ハーデスのイメージを、これ以上崩さないでくれ……」
どうしてみんながぐったりしているのか、いまいちよくわからない。
そういえば、ここはアテナの聖域だったか。
確かアテナはハーデス様をぼっこぼこのギッタキタにしていた気がするから、仲が悪いのかもしれない。
ヘラクレスと一緒に冥界に攻めこんだ時なんて……!
「矢ガモ事件……!!」
そう、ハーデス様は矢ガモ状態になってしまったのだから。
呟いた言葉にハーデス様の顔色がうっすらと悪くなった気もするけれど、多分気のせいだ。
そうに違いない。
それにしても、引きこもりっ子のハーデス様が地上に出てくるなんて、本当に珍しい 。
「そうだ!」
地上にいるなら、あの方ともお会いできるじゃないか!
うっきうきでハーデス様を見上げて、我ながらの名案を出してみることにした。
「あの、今ならペルセフォネー様とお会いできるんじゃないですか?ほら、ちょうど春ですし……こちらにいらっしゃるでしょう?」
ペルセフォネー様は冬の間しか冥界にいないはずだから、今はデメテルのいる地上に帰っているはず。
夫婦のはずなのに冬しか会えないなんて、本当に理不尽だ。
「そうですよ、一応ここにはペルセフォネー様と仲良しのアテナもいるみたいですし。この際ですから会ってからお帰りください!私も帰る前に一回、お会いしてみたいし 」
「 帰る?」
ペルセフォネー様の話題でますます嬉しげになっていたハーデス様が、訝しげに眉根を寄せた。
予想外の反応に首を傾げると、その綺麗な唇から思いもよらない言葉が飛び出す。
「どこに……帰ると?」
「……え?」
それは、どういう意味?
言葉の意味に頭が追いついていかない私に興味を失ったのか、ハーデス様はおそるおそるアテナ(らしい女の子)を振り向いた。
アイオロス様達の警戒が一気に強まるけれど、よく見てほしい。
ハーデス様の右手には、しっかりと「隠れん帽」が握られていることを。
かぶると姿が見えなくなる「隠れん帽」、まさにハーデス様にぴったりの神具だよなあ……。
ぼんやりとその光景を見ているうちに、女の子が苦笑して何かを呟いた。
神々しいまでの光が眩しくて目を瞑ると、温かい手がそっと私の頬をなでる。
誰……?
「ハーデス様を理解してくれてありがとう、若き迷い子」
「まよいご……?」
目を開けると、直視するのもおこがましいような美女が微笑んでいた。
ペルセフォネー様だ。
想像以上の麗しさにぼーっとしながら、馬鹿みたいに言葉を繰り返す。
それにうなずいて、ペルセフォネー様が痛ましそうな顔をした。
「ええ、可哀相な娘。貴女はこの世界に属する者ではない」
がつん、と頭を殴られた気がした。
そりゃあ、私の常識では、神様なんて所詮神話の中だけだったけれど。
ここは何かいろいろありえないけれど。
それでも、帰ればまた日常に戻れると思っていたのに。
「う、そ」
「いいえ、嘘ではないの。このアテナは現人神、城戸財閥の総帥です。 城戸財閥に、聞き覚えは?」
「ありません……」
口が勝手に動く。
これは夢だ、そうに違いない。
さっきお兄さんにひねられた腕はまだ痛いけれど、引っ立てられた時にぶつけた脛は痛いけれど、夢に違いない。
色々と尋ねられながらそう考えていると、不意にいい薫りに包まれた。
「貴女を帰す方法は、いかな私達でもわかりません。けれど、できる限りの便宜は図りましょう」
ペルセフォネー様、だ。
地面に膝をついて、たおやかな腕で抱きしめられている。
「服、汚れちゃ 」
「構いません」
お泣きなさいと、優しい声でささやかれた。
いつかきっと帰れる日がくるから、今は泣きなさいと。
「ペル……フォ、さまぁ……!」
しがみついて大泣きして、それからしばらくの記憶はない。
気がついたら豪華なベッドに寝ていて、あの場所にいた全員と仮面が周りを囲んでいた。
目を開けた瞬間に仮面のドアップがあった時は、力の限りに絶叫したよ。
寝て起きて、それでも世界が変わっていなかった。
そろそろ私も、腹をくくろうじゃないか。
「目が覚めたのですね」
笑いかけてくれた女の子に笑顔を返して、さてこれからどうしようと考える。
一応ここでの最高権力者らしいアテナには全力で逆らっちゃったし、まずは身の安全の確保から始めなければ。
どうしたものかと考えていたら、たおやかな手がそっと私のそれを握った。
「ねえ、若き迷い子」
「ペルセフォネー様?」
「私、考えたのだけれど」
輝かんばかりの笑顔で、冥王の奥方はとんでもない爆弾を落としてくださった。
「貴女、私達の娘になってくれないかしら」
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