しみじみしていたら、瞬君が何度もかぶりを振りながらおそるおそる口を開いた。
その隣で氷河君も耳の調子を確かめている。
「ちょ、ちょっと待って、さん。ハーデスがキス?」
「うん、そうだけど……何か変かな?こっちの人はそれが普通なのかと思ってたんだけど……」
アフロディーテさんもよくキスをしてくれるし、ムウさんも時々頭のてっぺんにキスをくれる。
沙織さんもハグは普通にしてくれるから、そういうオープンな気風なのだと思っていた。
もしや違うのだろうかと訊くと、2人に信じられないといった顔をされてしまう。
……どうやら、違ったらしい。
わ、私って何なんだ……!
「あ……あの、瞬君?」
「 さん、ハーデスってどんな人ですか?」
何ともいえない表情で氷河君と顔を見合わせている瞬君にそろりと声をかけると、何故かとても真剣な声で訊かれた。
どんな人、と言われても、神話そのままの神様だと思うんだけれど……。
「ええと、口下手でシャイでピュアで、お母様のことが大好きな方だよ。冬が来るのをいつも指折り楽しみにしてるし、」
「 してるし?」
「お料理もおかし作りもプロ並にうまいし、編みぐるみを作るのもぬいぐるみを作るのもすごくうまいし、お仕事嫌いで隙あらばさぼろうとしてるし、」
「…………それで?」
「最近はガーデニングにも目覚めたみたい。私が花瓶にお花を生けてたら、いつの間にか一緒にやってくれるようになったよ」
話すにつれてどんどん頭の痛そうな表情になった2人は、おもむろに顔を見合わせてうなずきあった。
そして。
「……人違いだな」
「人違いだね」
「えええええええ!?」
な、何なの、その妙な自信っぷり!
お父様のどこがおかしいっていうの!?
「ど、どうしてそうなるの!?」
思わずティーカップをソーサーに落としながら慌てて訊くと、2人はもう一度ちらりと視線を交わしあってうなずいた。
「俺たちの知るハーデスは、そんなに家庭的で乙女思考ではありません」
「それに僕、ハーデスのことはよく知っているつもりですから」
「お父様はすごく優しくて可愛くて素敵なんです!……でも瞬君、どうしてお父様のことを知ってるの?」
あっさりと酷いことを言う氷河君に噛みついてから、妙に神妙な顔をしている瞬君に首を傾げる。
戦ったことがある相手だからというには、少し様子が違った。
どうしたのだろうと思っていたら、言いにくそうな瞬君が、迷いながら小さく口を開く。
そして言われた言葉は、信じられないものだった。
「 僕、ハーデスの依代として、一度乗っとられたことがあるんです」
「……え?」
嘘、嘘、嘘、そんな。
あの優しいお父様が、そんなことをするはずがない。
「……嘘、だよね?」
嘘だと言ってくれという思いで訊いても、瞬君は固く口を引き結んだままかぶりを振るだけだ。
強張った表情で、それがうそではないとわかって 頭が真っ白になった。
そんな、酷すぎる。
神様と人のものさしが違うとはわかっているけれど、わかっているつもりだけれど、それでもやっぱり許せない。
ぐるぐると思考だけが回る中、いつかのように身体がぐわりと熱くなる。
沸き上がる衝動そのままに、大きく息を吸って思いっきり叫んだ。
「 タナトスさん!!」
「「 っ!?」」
瞬君と氷河君が驚いたように身を固くするのが見えたけれど、今はそんなことに構っていられない。
「タナトスさん、来てください!!」
「 姫君!?」
泡を喰ったように現れたタナトスさんにずずいと詰め寄って、怒濤のように言い募った。
「どうして瞬君の身体をのっとるなんてことさせるんですか!そんな酷いこと、どうしてさせちゃったんですか!瞬君の身体は瞬君のものでしょう!?それってたとえば、私がアルテミス様の依代になるのと同じなんですよ!」
「姫君をアルテミスの依代にするなど!」
「たとえばの話です!!瞬君だって嫌だし、瞬君の周りの人もすごく悲しい思いをしたはずです!どうしてそんなことしちゃったんですか!!」
自分の意思は全く関係なく、好き勝手に身体を使われた瞬君は、一体どんな気持ちだったんだろう。
自分が戦わなければいけない相手の依代にされて、何を思ったんだろう。
興奮しすぎて何が何だかわからなくなって、ぼろぼろと勝手に涙が出てきてしまった。
焦ったように差し伸べられたタナトスさんの手を振り払って乱暴に拭っていると、別の手がそっと伸ばされる。
「 さん、ありがとうございます」
瞬君、だった。
そう認識すると、申し訳なさと恥ずかしさでさらに涙があふれてくる。
「ごめ……ごめんね、瞬君。私、何にも知らないで、あんな呑気なこと言っちゃって……!」
お父様の娘なのに、そんなこと知りもしなかった。
もっとちゃんと、皆さんと色々なことを話しておくべきだった。
後から後から後悔がわいてきて、瞬君の手をぎゅうと握りしめてうつむく。
自己嫌悪に陥っていたら、手を優しく握り返された。
「いいんです……いいんです、さん。そう思ってもらえるだけで、僕はもう充分ですから」
何て、優しい子なんだろう。
怖かったはずなのに、つらかったはずなのに、もういいのだと笑ってくれる。
ぼろりともう一つこぼれた涙を、瞬君が空いた片手で拭ってくれた。
「だからもう、泣かないでください」
「…………うん。ありがとう」
瞬君がそう言うなら、もう泣くのはやめにしよう。
それよりも、やらなければならないことがある。
ぐいぐいと腕で顔を拭って、真っ青になって立ちすくむタナトスさんを睨みつけた。
「……タナトスさん」
「 は」
慌てて跪いたタナトスさんに、大きく一つ息をしてから口を開く。
「瞬君に、謝ってください。お父様にも、謝罪のお手紙を書くように伝えてください」
静かな声でそう言うと、タナトスさんはしばらくためらった後に、瞬君に向かって頭を下げた。
ごくごく軽い仕草だったけれど、タナトスさんの性格と神様だということを考えると、充分すぎるほどだろう。
「ハーデス様にもお伝えいたします」
「はい」
私には深々と礼をして、来た時と同じように消えたタナトスさんがいた場所をぼんやりと見ながら、瞬君がぽつりと呟く。
「……まさか、タナトスが頭を下げるなんて……」
「ああ……」
氷河君も夢を見ているような表情でうなずいて、それきり2人は黙ったままだった。
(ハ、ハーデス様が出てくると、何故か話が長くなる不思議…。これも愛故に。ヒロインがまた不思議な力を発揮しました(そうでなければタナトスを喚べるわけがない))
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