気は進まないけれど、仕方がない。
せめてきっちり、準備でも。








ガブリエルと大和撫子









家に戻ってお母さんに着物はあるかと訊いたら、案の定訝しげな顔をされた。
それはそうだろう、私は普段なら絶対にそんなことは訊かない子供だし。


「……どうしたの?
「友達の家に行くのに、どうしても必要になって」


不本意だということを隠しもせずにぼそりと言うと、またかと呆れた顔をされた。


……付き合いがいいのはいいことだけど、嫌ならちゃんとそう言っとかないと、苦労するわよ」
「嫌っていうわけじゃないんだけど……必要最低限だけでも覚えることがありすぎそうで、めんどくさい」


茶道の世界なんて全然知らないから、マナーも当然わからない。
それをわかって言っていたんだろうか、鳳君。
自分も遠い世界だなんて言っていたのに……。

せめて2回ほど、日吉から基本的な作法を教えてもらいたいと思うのは、仕方のないことじゃないだろうか。


「……メール、してみるか」


頼めば何とかしてくれるかもしれないと、ため息をついて部屋に上がる。
作法がわからないから教えてもらえないかと打って送ると、10分ほどして返事が返ってきた。


『今週の土曜、午後なら少し時間がとれる。都合はどうだ?』


土曜。確か、予定は入っていなかったはずだ。
大丈夫だと返信して、当日は何を着ていこうかとドレッサーを開ける。

長時間正座をすることになったら脚がしびれるから、やっぱりスカートの方がいいだろうか。
少しでも血の流れをよくした方が、被害は少なくて済むだろう。


そんなことを考えながら大体の目星をつけて、ひとまずそのことについてはそれで終わりにした。


そんなことより、明日の数学の予習をしておかなければ。
最近めっきり難しくなった教科書を開いて、眉間に皺を寄せた。


さっぱり解けないわけではないけれど、最近はわからない問題がちらほら出るようになっている。
後で亮にでも訊いてみようとため息をついた。


すっかり凝ってしまった肩を回していると、携帯がバイブを鳴らして着信を告げる。
電話なんて珍しい、誰からだろうか。
そう思いながらディスプレイを見て、思わず顔をしかめてしまった。


「忍足先輩か……」


どうしてわざわざ、あの先輩が私の携帯に電話をしてくるのか。
怪しいことこの上ない。
何度も無視したけれど(20コールで不在着信になる)、5分経っても先輩が諦める気配はなかった。
こちらが諦めて電話に出ると、途端に聞こえる妙に色気のある声。


『久しぶりやんなあ、
「珍しいですね。どうかしたんですか?」
『いやな、長太郎が今度の練習試合   
お断りします。ていうか、どうしてそれを先輩が言うんです?」


鳳君自身から言われたならともかく、他人づてに頼まれても絶対に引き受けたくない。


『いや、鳳は何も言ってへんで?のマネジメント能力を買って   
「無駄なスカウトをしている暇があるんなら、その分受験勉強をしてくださいよ……。先輩、外部に行くんでしょう?」
『お?よく知っとんな、自分』
「亮に聞きましたから」


それ以前に、家業を継ぐつもりならば、氷帝にはいられないと言った方が正しいのだけれど。
氷帝には医学部がないから、自然外部受験になる。


「どこに行くんですか?」
『東大もおもろそうなんやけどなあ……やっぱ京都に戻りたいわ』
「どちらにしろ大変ですね」


苦笑して返すと、忍足先輩も苦笑したようだった。


『ま、何とかなるやろ』
「先輩、成績はいいですもんね」


行動は馬鹿ばかりだけれどと暗に告げても、先輩は怒らない。
このあたりが、大人だと言わしめるのだろう。


『よければ自分も京大来いや、下宿先は提供したるわ』
「先輩の実家ですか?さすがにそれはちょっと」
『阿呆、姉貴のマンションや。一人暮らしやし、姉貴は自分みたいな子ぉ好きやしな』
「はあ……」


話半分でうなずいて、話題を全然別のものに変える。


「それで。何の用ですか?」
『せやせや!ちょっとしたティーパーティーやるんやけどな、も来いな?』
「は?嫌ですよ、そんなの」
『席も用意しとるし、待っとるでー』
「ちょ、忍足せんぱ   !!」


言いたいことだけ言ってブッツンと切られた携帯を握りしめ、一体何事だと眉根を寄せる。
とりあえず、この行き場のない怒りは、亮にぶつけることで我慢しよう。




「亮ー!!」
「んだ……うおぉっ!?




渾身のスクリューパンチを間一髪でかわされて、思わず舌打ちが出てしまった。


「ストレス発散に受けてやろうって優しさはないの?」
「そういうお前は幼馴染みに対する優しさはないのか?」
「はっ、今更」


鼻で笑ったら、亮が地味に落ちこむ。
こんなことで落ちこむなんて、亮もまだまだだ。

とりあえず放置しておばさんに出してもらったクッキーをつまんでいたら、復活したらしい亮ががりがりと頭をかいた。


「んで?どうしたんだよ」
「忍足先輩の傍若無人っぷりをどうにかして」


さっきの電話のことを話すと、亮も呆れた顔になる。


「……いきなりだな、あいつ」
「でしょ」
「でもまあ、思い出でも作りたいんじゃねえの?」


それは予想外の言葉で、だからこそ目を瞬かせてしまう。
思い出なんて、そんなものをわざわざ作る必要があるのだろうか。


一瞬そう考えて、先輩の第一志望を思い出して。




   あ」




もしも京大に進学したら、少なくとも6年間は東京に戻ることは、まずないだろう。
6年も経てば、ほとんどのメンバーは社会人になってばらばらだ。

   だからこそ、先輩は。


「……詳しい日程、聞いといて」
「おう」


仕方ねえなあと苦笑した亮が不覚にもいい男に思えて、んなわけないかと自分を笑った。