ついにやってきたバレンタイン当日。
多分今日の学校は、甘ったるい匂いが充満しているんだろう。
先生達も、あまりに酷い騒ぎ方をすると没収するけれど、別に禁止はしていないし。
どちらかというと放置だ、運が良ければ自分がもらえるっていうのもあるだろう。

かく言う私も別に参加していなかったわけではなく、毎年ちゃんとチョコを持ってきていた。
花音に。
亮には帰宅してから渡しに行くだけで十分だし、関係を暴露したくなかったから当然の措置だ。


「それにしても……」


今までこんなに緊張するバレンタインがあっただろうか。
記憶に残っている限りでは、初めて亮にあげたときぐらいな気がする。
世の女の子達は毎年こんなプレッシャーと戦っているのかと思うと、いっそ尊敬さえしてしまう。

女子校ではどんな感じなんだろうか、やっぱり友チョコが飛び交っていたりするんだろうか。
どんな状況であれ、氷帝よりも大事になることはないだろう、まず。

テニス部の面々に渡す紙袋とは反対の手、ガトーショコラを入れた鞄がやけに重い。
実際にはいつもとそう変わらない中身だけなのに、チョコ一つでこんなにも変わるのか。
気が重くなるのを感じつつ、だらだらと靴を履き替えて教室に入る。


「おはよ」
「おはよ、はいこれ」
「やった!あんたのブラウニー、おいしいんだよね」


挨拶もそこそこに花音に袋を渡すと、満足そうな笑顔が返ってくる。
花音からもラッピングチョコをもらって、鞄と紙袋を机の両横にかけた。
その紙袋に、花音の胡乱な視線が突き刺さる。


「…………
「何」
「あんたまさか、あいつにもそれをあげるつもりじゃないでしょうね」
「……これも渡すけど、ちゃんと作ってきたもん」


気恥ずかしくて小さな声になってしまった私に、花音は生温い目になった。


「……あのが、すっかり女の子してるねー」
「ちょっと花音それどういう意味」
「そのまんまよ、あんたそこらの男よりもずっと男らしいじゃない」
「まあ、否定はしないけど」


よく言われるし、私もなよなよしてると思う男子が結構いるから、多分花音の言う通りなんだろう。

それにしても、いつ渡したものか。
一番楽なのは部活中だけど、それは自殺行為。
何が悲しくて、あんな公開処刑のような場所で渡さなきゃいけないんだ。

日吉のメアドは知っている。
となればやっぱり、こっそり呼び出すしかないんだろうか。

いやしかし、呼び出した時点で大体の理由は気づかれてしまう可能性が高い。
日吉だって馬鹿じゃない、それくらいは気づくはずだ。


ぐるぐる考えていたら、いつの間にかテニス部の朝練が終わっていたらしい。
完全に髪が乾いていない日吉が、どさりとバッグを床に下ろしていた。
いつもなら軽く流せるその光景も、今日は妙に意識してしまう。
できるだけ自然に視線を逸らしつつ、ひとまずは放課後まで授業に集中することにした。
だって、そうしないと更に意識しそうなんだもの。








お昼休み、いつも通り亮達と4人で食べるのはいいけれど……鳳君よ、そんな期待に満ちた目で見ないでくれ。
ぶんぶん揺れる尻尾が見えそうだよ。


「……ねえ、鳳君」
「何?」
「そんな目で見なくても、毎年腐るほどもらってるでしょうに」
「だって、さんのお菓子っておいしいんだもん。変に凝ったりしないし」
「うんまあ、慣れない工夫はしないよ」


そんなことをいきなりやっても、大抵は納得のいかない結果になるのがオチだ。
それでも一生懸命チャレンジするのが、可愛い乙女心なんだろうけれど。
自分の女子力のなさに軽くため息をついて、念のためにと持ってきていた紙袋からチョコクランチを取り出す。


「はい。大きさにばらつきがあるけど、袋詰めってことで許して」
「ありがとう!」
「……悪い」
「お、今年は大量生産したな」


さすがに亮は、このチョコ選択の理由がわかったようだ。
伊達に長年幼馴染をしていないということか。
肩をすくめてみせると、ドンマイというようにその肩を叩かれた。

鳳君はさっそく袋を開けて、嬉しそうにチョコを食べている。
ああうん、そんなに喜ばれると、作った側としても冥利に尽きるよ。

対する日吉は、少し難しい顔でチョコを見ている。
甘いものが嫌いという記憶はないけれど、バレンタインのチョコ責めにはうんざりしていそうだからなあ……悪いことをしたか。


そう考えたら、鞄の中に置きっぱなしのあのチョコを渡すのも憂鬱になってきた。
誰にも気づかれないように小さくため息を落として、おひたしを一口。

あ、今日のはなかなかの出来。
これ、胡麻和えでもいいかもな。
今度お母さんに教えてもらわなきゃ。

そんなことを考えていたから、数秒反応が遅れてしまった。


   ?」
「え、ああごめん、何?」


怪訝そうな声で呼ばれて日吉を見ると、何故か眉間に深いしわを刻んでため息をつかれた。


「ごめんって。何?」
「今日、どこかで時間はとれるか?」
「別に、いつでも平気だけど。どうせ呼び出されるだろうから、テニス部にも顔出すつもりだし」


どうせ大混乱になるのは目に見えているんだから、今日くらい中止にすればいいのに。
それともあれか、暗くなるまで時間を稼いで、少しでも女子の人数を減らしたいのか。
何にせよ、跡部先輩の考えることはよくわからない。


「一応言っとくけど、バレンタインだろうが何だろうが、昔からイベントのせいで部活が中止になったことはないからな」
「え、そうなの?」
「当たり前だ、馬鹿。いくら跡部でも、んなくだらないことはしねえよ」


ああ、いっそのこと、くだらないことをしてくれればよかったのに。
思わずため息をつきそうになって、そうしたら一人一人の教室まで配りに行かなくちゃいけないことに気づく。

……うん、やっぱり部活やってください、先輩。
学校中回るの、めんどいんで。