信じていたんです。 貴方は貴方のままで、幸せなのだと。






菩提樹の祈り







「よく我慢したね、完治してるよ」
「ありがとうございます」

幸村先輩と初めて出会った病院。
その診察室で、待ち望んだ言葉をようやくもらえた。

思わず顔をほころばせると、先生もうれしそうに笑う。

「よかったね、丸井さん。体育祭で何かやるんだろう?」
「はい!明日から練習に混ぜてもらいます」

意気込んで答えたら、程々にしておくんだよと苦笑された。


「失礼します」


病院を出ると、気持ちいい風。
何の支えもなしに歩くのがこんなに楽しいなんて、思ってもみなかった。

立海へは、ここから電車で20分ぐらい。
ちょっと遠いけど、地図もあるし大丈夫。

お兄ちゃん、ちゃんと部活やってるのかな。
柳生さんと柳さんって、どんな人だろう。




   幸村先輩は、どうしてるんだろう。




幸村先輩に会うのは、正直怖い。

家庭教師をしてもらってるときにはお話もするけど、それも必要最低限だけ。
いきなり態度を変えた私を、先輩はどう思ってるんだろう。



……多分、怒ってると思う。



それでも、普通の後輩として可愛がってほしいけれど、あんまりにも虫の良すぎる話だから、それはこっそり却下しておいた。


会いたくない。でも、一目でも見たい。
我ながらなんと矛盾しているんだろうと、小さく苦笑する。


まるで、別れた相手に未練がある女のよう。



(幸村先輩にきちんとお会いして、ありがとうございましたって言って)



そうして、この宙ぶらりんな気持ちにさよならしよう。









初めて一人で来た立海は、文化祭の時よりもずっと大きく広く感じた。


「広……」


圧倒されそうなのをぐっと我慢して、まずはお兄ちゃんを捜す。
こんな広い学校でテニスコートなんて見つかるのかと思ったけど、案外簡単に見つかって拍子抜けした。



「お兄ちゃん」



黄色い声が木霊するそこにそっと近づいて(女の人達の何この子みたいな視線がとっても痛かった)、どうか聞こえますようにと願いながら小さく呼びかける。
思った通り気づいてはくれなかったけど、代わりに近くの女の人が気づいてくれた。


「あんた、誰かの妹なの?」


態度はずいぶん怖かったけど、とりあえずうなずく。

「お兄さんの名前は?」
「丸井ブン太です」



「ブン太の!?」



うわ、ちょっと、声大きい!
幸村先輩に気づかれたらどうすんのさ……!

女の人の大声で、こっちに注目が集まる。
さっきまで大音量で響いていた黄色い声も、嘘みたいにぴたりと止まる。




「あ、




馬鹿みたいなお兄ちゃんの声がぽとりと落ちた瞬間、全てが動き出した。


「ちょっと、その子丸井君の何なのよ!」
「呼び捨てだったわよ!?」

「ちょ……やめなさいよあんたら!!」


あちこちから伸ばされる、手。
女の人が必死にかばってくれるけど、その腕を、身体を、するりとかいくぐって私に届く。


「痛いっ……!」


腕をいくつもひっかかれた。
かなり深いみたいで、じわりじわりと血がにじむ。
髪の毛もぎゅうぎゅうとあちこちから引っ張られて、何本も抜ける感触がした。


「痛いっ、痛い!!」
「やめなさいってば!!」


何なの、何なの、ここ。
怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ!




「やめろ!!」




今までで一番大きい怒声が、全てをぴたりと止めた。



「お前ら何やってんだよ!」

「あ……」
「まるい、くん……」



こんなお兄ちゃん、見たことない。


両手を力一杯握りしめて、両足でふんばって、とんでもなく怖い目つきでこっちを睨んで。




「何やってんだって、訊いてんだよ!!」




びりり、と、空気が震えた。


打たれたように動かない女の人達をぎりと睨んで、そのまま私に手を差し伸べる。



   、来い」



すぐ近くにはフェンスを切り取った入り口があって、外人さんがそれを開けてくれている。




「……っ、お兄ちゃん!!」




弾けるように駆けだして、ローファーなのも構わずにコートに入って、お兄ちゃんに抱きつく。
え、とか、妹?とか、背後でいろんな声が聞こえるけど、それから逃げるようにすがりついた。


怖かった、怖かった怖かった怖かったよ。


「メンゴな、痛かっただろ。怖かっただろ」

頭をなでてくれるお兄ちゃんはまだ怖い声で、でもそれはコートの向こうの女の人達に向けられたものだってわかったから、全然怖くなかった。



「お前ら、もうここ来んな」



地の底を這うようなその声に、しんと静まりかえったその場所から、やがてばらばらと早足の足音が去っていく。
それが引いた頃におそるおそる顔を上げると、まだ1人立っていた。


「……んだよ」


敵意むき出しのお兄ちゃんにもひるむことなく、その人は私を見ている。
私よりも酷いひっかき傷が、顔にも腕にもある。

「ブン太、中に入れて」
「やだね。とっととあっちいけよ」


「入れて」
「行けよ!!」


お兄ちゃん、怖い。


服を掴む手がびくりと震えた。

それでも、あの人まで誤解されたくないから、必死にちょっと高い目を見上げる。

「お兄ちゃん、あの人、違う」
「んぁ?」
「ずっとかばってくれてたの」

綺麗だった髪の毛もぐちゃぐちゃになって、制服もよれて皺になって。
そんなになっても、守ってくれてた。

お兄ちゃんから離れて、フェンス越しに女の人と向かい合う。



「……ごめん、こんなに怪我させた」



心底すまなさそうにしょんぼりとするその人にかぶりを振って、フェンスに手を絡ませる。


「ありがとうございました」


心からのお礼。


「あなたがかばってくれなきゃ、私きっと、もっと酷い怪我してました」

綺麗な顔に血がにじんでる。唇にも、噛みしめた歯がつけた傷がある。


「ありがとうございました」



もう一度、深々と頭を下げると、女の人も近寄ってきた。

「ブン太、妹貸して。ゆっきー、部室貸して」
「は!?」



「いいよ」



お兄ちゃんのびっくりした声にかぶるように聞こえた、大好きな声。
思わずびくりと反応して、でも意地でも振り向かずにフェンスを握りしめる。

「沙紀、何するつもりだよ!?……ま、まさかに魔の手を……!
やるかボケ。手当するんだよ」

にっこりと綺麗に笑って、地の底よりも低い声を出した女の人に、お兄ちゃんがヒィ!と悲鳴をあげる(情けない)



「真田、鍵貸して。言っとくけど、覗いたら……わかってるよね?」



悪魔の微笑み。
みんな、必死にガクガクうなずいてる。

「ごめんねゆっきー、すぐ空ける」
「いいよ、ゆっくり使って。沙紀も酷い怪我じゃないか」
「平気平気、あの子ら全員に10倍返ししてやるから」

今度は勝手にコートに入ってきた女の人   沙紀さんは、ひらひらと手を振りながら、私の手をそっと握った。


「行こう?そのまんまじゃ、変に傷が残っちゃうよ」


微笑んだその人をぼんやりと見ながら、
なんて綺麗に笑う人だろうと、そう思った。













沙紀さんはバサラ!の彼女だったり。こっそりゲスト。