君に幸あれかしと叫ぶ菩提樹には、果たして幸はきたのだろうか。
ここに幸ありと叫んだ菩提樹ならば、幸がきたのだろうか。






菩提樹の祈り







脱脂綿を押し当てられる度にぴりりと痛みが走って、思わず顔をしかめてしまう。
そんな私に苦笑しながらも、沙紀さんは手際よく手当てをしてくれた。

「顔には怪我しなかったんだね。よかったよかった」

消毒して、薬を塗って、ガーゼをあてて。


「絆創膏が一番いいんだけどなあ……」


難しそうな顔で呟くと、小さく舌打ちをして包帯を取り出した。

「ブン太、あんなに怒るんだね。初めて見たからびっくりしたよ」
「私も……あんなお兄ちゃん、初めて見ました」

おー怖いと大げさに震えてみせて、沙紀さんはくるくると包帯を巻き付けていく。


「ったく、いつもゲームを貸してやってる恩を忘れおって……」
「え、お兄ちゃんにゲームを貸してくれてるのって、沙紀さんだったんですか?」


初耳だ。全くもって初耳だ。
クラスの男の子かと思ってたのに。

「そうそう、いろいろ貸してるよー?」

にんまりと笑ったその顔は悪戯小僧みたいで、それでもすごく輝いてた。



「はい、終わり」



きゅっと包帯を結ばれて、改めて沙紀さんを見る。
   酷い、怪我。


「ありがとうございました。あの、手当て   


視線で自分のことだとわかったんだろう、沙紀さんが苦笑して立ち上がった。

「ヘーキ。保健室に行ってくるよ」

私はここの生徒だしね、とウィンクをした沙紀さんは、部室を出ようとしたところでぴたりと足を止めた。



「ゲーム、好き?」
「あ、はい。それなりには」



いきなり訊かれて戸惑ったけど、すぐに答える。
お兄ちゃんが四六時中やってるから、ついでにやることが多い。
中3にもなってそれはどうなのって、自分でも思うけど。


「んじゃ、ここで待ってなよ。戻ってきたら、あいつらの部活が終わるまで付き合ったげる」


ここならゲームやり放題だからねー。

さらりととんでもないことを言った沙紀さんに、思わず瞬きしてしまう。


「え……あの、いいんですか?」


色々と。


「本当は無理矢理引っ張られてきただけだったし、すぐに帰ろうかと思ってたんだけどね。別にやることもないし、見たいドラマもないし、このままあんたを放置したら後味悪そうだし。部室に関しては問題ないよ」



ゆっきーと私の仲ですから。



ひらひらと手を振って沙紀さんが出ていった後、私は最後の言葉について考えてた。

幸村先輩と沙紀さんの仲。それって、どんな意味なんだろう。

そりゃ、沙紀さんはちょっと口が悪いけど、すごく優しい人だ。
見ず知らずの私のために、体を張ってかばってくれた。
それに美人だし、この学校にいるってことは、きっと頭もいいんだろう。




…………あれ?




ちょっと待って、これって前にどこかで   




「……あ、そっか」




幸村先輩にぴったりな女の人だ。

と言うことは、2人は付き合ってるんだ。


何だか、何かがすとんと抜け落ちた気がした。


「そっか……沙紀さん、幸村先輩と付き合ってるんだ」


お似合いだもの、あの2人。




「お待たせー。さ、ゲームやろ」




帰ってきた沙紀さんがどこからともなくPS2を取り出してきて(本当にどこに隠してたんだろう)、慣れた手つきでディスクをセットする。
ややして出てきた画面は、家でも見たことがあるもの。


「……戦国無双?」
「イエス!でもこれは2なんだなこれが!」


さっきまでとは全く違う、ものすごく生き生きした表情。
コントロールさばきも神業並みにすごい。

「ほらほら、ぼさっとしてると手柄を全部取っちゃうよ?」
「ちょ……待ってくださいよ!」

こっちもムキになってコントローラーを動かすけど、とてもとても。




「終わったぜぃ   って沙紀、何やってんだよ!!」
「たるんどるぞ、冴木!!」

「うっさいブン太、あんたが妹放置するのがいけないんでしょ!?真田もあのうるさい女共をどうにかするぐらいの根性を持ちなさいよ!」


ぴしゃりとみんなを黙らせて、ワンステージを終わらせた沙紀さんは未練もなさそうに電源を落とす。
あ、もう少しで全武将撃破できそうだったのに。


「ゆっきーサンキュ、助かった」

「別にいいよ。   丸井さん、大丈夫だった?」
「え、あ   はい」


しまった、目をそらしちゃった。
お兄ちゃんが心配そうに見てるのがわかる。

負けちゃ駄目、ちゃんと向き合わなきゃ。


「あの、幸村先輩」
「ん?」


微笑んで小首を傾げる幸村先輩を、正面から見る。
どうしようもなく、声が震えた。




「あの   今まで、ありがとうございました」


   どういうことだい?」




幸村先輩の雰囲気が、すうと硬化した。
ひるむな、私。


「あの、私なんかの家庭教師をやってるの、迷惑でしょうし。幸村先輩にはテニスにうちこんでほしいし。あの、本当は今日、このつもりで来たんです」



どうしよう、怖い。
幸村先輩の空気が怖い。




「……丸井?」




静かな静かな先輩の声に、お兄ちゃんの肩がおもしろいほどよく跳ねた。


「俺だって一応止めたって!でもさ……、こういうこと言っても聞かねぇんだもん」


だもん、て。そんな。
子供じゃあるまいし。



「丸井さん」



うわ、こっち向いた。
後ずさりそうになったのに気づいたのか、沙紀さんが近寄って肩を抱いてくれた。


「……大丈夫?ゆっきーったら真っ黒だよね」


こそりとささやかれた言葉に思わずくすりと笑う。
ちょっとだけ、怖くなくなった。

「どうして、そんなことを考えたんだ?」
   色々、考えたんです。一杯。それで、柳さんか柳生さんに見てもらえたらって……」

今の先輩、触れたらひんやりしそう。


冷たくて、怖い。


沙紀さんがいてくれなかったら、多分こうしていられない。
逃げ出さずにはいられたけど、やっぱり目線は床に落ちてしまった。

先輩、どんな顔をしてるんだろう。
わからない分余計怖さがつのる。



   丸井さんの、好きなように」



初めてかけられた冷たい声に、びくりと身体が跳ねる。
いつもよりも少し大きい足音が遠ざかってドアが閉まると同時に、へたりこみそうになってしまった。


「大丈夫?」
「は、い」


さりげなく支えてくれていた沙紀さんにどうにかうなずき、改めて部室の中を見る。

帽子をかぶった厳しそうな人、さっきフェンスを開けてくれた外人さん、髪が長い人に眼鏡をかけた人、綺麗に髪を切り揃えた人。

多分、帽子をかぶった人は、坂田とか島田とか言う名前。の、はず。(さっき沙紀さんがばっさり切り捨ててた)


「真田、やっぱりゆっきーは怖いねぇ」
うむ……いやっ、そんなことはない!!だが、何故だ?」


あ、真田さんだった。



「さあねぇ?」



にやりと笑った沙紀さんは、なんだか理由をわかってるみたいだ。
……まあ、普通はわかるか。
あんな失礼な態度とったんだもん、怒って当然だ。

「それで、ブン太妹。あんたは柳とヒロシのどっちに頼むの?」

沙紀さんの言葉に思考から引っ張りあげられて、ついでに気づく。




「…………あ」




考えてなかった。